Voice

2011/01/282011年1月16日(日) JOC地域タレント研修会 

未来のオリンピック候補の少年少女達に講演

2011年1月16日(日) 12:00~13:00/国立トレ-ニングセンター
主催:日本オリンピック委員会

続きを読む

2010/12/07毎日新聞「時代を駆ける」(2010年12月7日から7回連載)に掲載

続きを読む

2008/09/20雑誌「近代セールス」(2008/8/15号) “特集★バリアフリー時代の営業店づくり”に掲載

続きを読む

2008/01/25人生の転換期《月刊スキージャーナル 2007年7月号》

 私が初めて、スキージャーナルと出会ったのは今からちょうど、10年前、1997年のことだ。編集部のひとりがチームの合宿地に取材に訪ねてくれたのがきっかけだった。長野パラリンピックを翌年に控え、メディア関係者が少しずつ姿を見せるようになってはいたものの、スキー専門誌の取材は初めてのことだった。

続きを読む

2008/01/25イタリアって不思議《月刊スキージャーナル 2007年6月号》

 今シーズンの活動がほぼ終わった。世界的な雪不足に翻弄されたシーズンだった。とくにヨーロッパ、なかでもスキー王国・オーストリアでの雪不足は日本と同等か、それ以上の深刻さだったかもしれない。

続きを読む

2008/01/25選手引退後の第二の人生《月刊スキージャーナル 2007年5月号》

 アメリカ・アスペンで開かれたワールドカップで、思いがけず、懐かしい人たちに会うことができた。ひとりは私のライバルであり、もっとも尊敬する選手であるサラ・ウィル。92年のアルベールヴィル大会からパラリンピックに参戦し、表彰台の中央に数多く立ち続け、02年のソルトレイクシティ大会で見事に四冠を達成し、現役を退いた名選手だ。

続きを読む

2008/01/25バンクーバー大会に向けて考えること《月刊スキージャーナル 2007年4月号》

 1月、ワールドカップ北米シリーズに参戦してきた。アメリカはコロラド州アスペン、カナダではBC州キンバリーが今回のレース会場だ。約2週間の期間中に、移動を含めながら、全部で9レースが行なわれた。昨年3月のトリノ・パラリンピック以来の国際大会であり、各国チームともにどのような陣容で来るのか、興味があった。

続きを読む

2008/01/25旭川を満喫!《月刊スキージャーナル 2007年3月号》

 12月下旬、カナダから帰国してまもなく、今度は北海道に出かけた。目的地は旭川。4泊5日の日程で市内に滞在し、講演会やスポーツ施設の見学、スキー場の視察とデモンストレーションを兼ねた滑走、そして犬ぞり体験など、盛りだくさんでなかなか楽しい旅をしてきた。

続きを読む

2008/01/25寒波に見舞われたカナダ遠征 《月刊スキージャーナル 2007年2月号》

 今、このコラムをチーム遠征先であるカナダの宿舎で書いている。今回の合宿地は、パノラマスキー場だ。玄関口となる空港はカルガリーで、最寄の街はバンフ。いずれもアルバータ州なのだが、ここパノラマは2010年のオリンピックおよびパラリンピックが開かれるウィスラーと同じブリティッシュコロンビア州にある。ちなみに、ここからウィスラーまでは車で行くならば「3日間」だと言われた。同じ州内だというのに、なんというスケールの大きさだろうか。さすがはカナダ!

続きを読む

2007/11/27雑誌「ちゃぐりん」(2007年12月号)“いのちの音色”コーナーに掲載

続きを読む

2007/10/24TBS「みのもんたの朝ズバッ!」スポーツコーナーにて紹介

続きを読む

2007/09/30TKC西東京山梨会秋季大学(2007年9月14日)

大日方流の壁の破り方を披露

2007年9月14日 16:30~18:00/京王プラザホテル八王子
主催:TKC西東京山梨会

続きを読む

2007/09/25ヨッテクスペシャルトークショー(2007年7月7日)

トークショーのナビゲーター役に挑戦

『ヨコハマ・ヒューマン&テクノランド2007』
2007年7月7日13:30〜14:15 /パシフィコ横浜展示ホール
主催:社会福祉法人 横浜市リハビリテーション事業団

続きを読む

2007/09/25岩谷 高峰さん

people.jpg

大日方さんとは、ロシニョール・スキーのプロモーションを通じて、しばしば行動を共にさせていただいています。
そのアグレッシブな滑りと明るい人柄に、いつも励まされているような気がします。
2010年バンクーバー・パラリンピックでも、ぜひ頑張ってください。

岩谷高峰(いわや・なおみね)
1984年サラエボ冬季五輪日本代表


2007/09/18バンクーバーに向けた新たな出発点 《月刊スキージャーナル 2007年1月号》

 10月22日から約2週間、昨年に引き続き、今年もオーストリアの氷河、ゾルデンで障害者アルペンチームのシーズンイン合宿が行なわれた。ほぼ同時期に行なった昨年の合宿は、振り返ってみるとトリノ大会でのメダルに直接的につながる実り多いトレーニングだった。そして今年、私はまた、2010年バンクーバー大会に向けた新たな決意を胸に、ゾルデンで新シーズンを迎えた。セストリエールのスラローム以来、実に約7カ月ぶりの雪上は、今まで同様、いやそれ以上に新鮮で、心躍らせてくれるものだった。

続きを読む

2007/09/18大切なのは「ソフト」の充実 《月刊スキージャーナル 2006年12月号》

 先日、沖縄にちょっと変わった旅行をしてきた。一応、遅い夏休み旅行ではあったのだが、まったくの観光旅行というわけではない。那覇市街にはまったく足を踏み入れず、ほかの観光名所にも立ち寄りはなし。基本的に、ホテルで過ごす2泊3日の旅。実をいうと、知人に頼まれて、あるリゾートホテルに滞在するモニター旅行に、夫と一緒に参加したのだ。
 開業してわずか1年というホテルだが、先ごろ経営が外資に変わった。それを機に、いわゆるユニバーサルデザイン(※「誰にでも使いやすく」という考え方)に基づいたサービスに力を入れたいと考えているのだという。その取り組みを軌道に乗せるためのアイディアのひとつとして、実際にホテルを利用して率直な意見を伝えるためのモニター旅行が企画されたというわけだ。

続きを読む

2007/09/18新しい“オモチャ” 《月刊スキージャーナル 2006年11月号》

 先日、「ハンドサイクル」なるオモチャをついに手に入れた。トレーニンググッズと言うべきか、移動手段としての乗り物というべきか、はたまた“高級なオモチャ”と表現するべきか、冒頭から表現を迷ってしまうのだが、それはともかく、今一番、私が気に入っている新しい所有物であることはまちがいない。「ハンドサイクル」とは、足の代わりに腕でペダルを漕ぐ自転車のことだ。チェアスキーを使えば両脚の筋力を使わなくてもスキーを楽しむことができるのと同じように、ハンドサイクルも腕の力だけで自転車と同じような推進力を得ることができる用具なのだ。ハンドサイクルのことは昨年、トリノ・パラリンピック前のコラム(2005年10月号)でも言及したので、記憶のある読者諸氏もいらっしゃるだろうか。

続きを読む

2007/09/18格好よくオシャレを楽しもう 《月刊スキージャーナル 2006年10月号》

 暑い季節に唐突かもしれないが、スキーシーズン中の雪山で過ごすときやゲレンデとの往復の間、皆さんはどんな服装をしているだろうか。私の場合、ゲレンデへ向かう道中からレーシングスーツ(いわゆるワンピ)の上にウィンドブレーカーを着ていることが多い。チェアスキーのシートは、ワンピを着た状態で型どりをしていて、身体にぴったりとフィットするように作られているので、たとえ基礎トレーニングしかしなくても、スキーウェアのパンツを履いて滑る、というわけにはいかないのだ。

続きを読む

2007/09/18ヒントは「誰でも、手軽に」 《月刊スキージャーナル 2006年9月号》

 先日、知人に誘われ、霞ヶ浦でヨットの操縦を初体験した。私が試したのはふたり乗りの小型ヨットで、「アクセスディンギー」という。1〜2名乗りの小型ヨット「ディンギー」が「アクセス」しやすい、つまり誰にでも乗りやすいように工夫されたのが「アクセスディンギー」だ。オーストラリアで開発されたこのヨットは、もともとは大きな船と港の間を往き来する小舟として考案されたものだそうだが、操船がむずかしくなく、初心者や高齢者、そして身体に障害のある人でも乗ることができる船として、世界中で人気が高まり、普及が進んでいるヨットだ。

続きを読む

2007/09/18言葉の意味とニュアンス 《月刊スキージャーナル 2006年8月号》

 トリノから帰国して、気がつけば早くも3カ月近くが経とうとしている。手元のスケジュール手帳を開いて振り返ってみると、この間、少なくとも週に1回以上は、パラリンピックに関連する公式行事や取材、対談、講演会などの予定が入っている状態だった。多くの場合、トリノで獲得した3つのメダルが私のお供だ。新宿御苑、日本記者クラブ、首相官邸、そして皇居……。3つのメダルはずいぶん多くの場所で、さまざまな方々の手にとられ、トリノパラリンピックのことを思い出してもらう材料となった。

続きを読む

2007/09/18たまには野球観戦でもいかが? 《月刊スキージャーナル 2006年7月号》

 4月26日、千葉マリンスタジアムで今シーズン初の野球観戦をした。私たち障害者アルペンスキー・ナショナルチームのスポンサーになってくれているロッテから、マリーンズの試合に招待していただいたのだ。プロ野球の試合は何度か球場まで見に行っているが、今回はただの観戦ではない。チームスポンサーとして私たちの活動を支えてくれたその御礼の意味を込めて応援に出かけるのだから、この日の対オリックス戦で、千葉ロッテマリーンズにはなんとしても勝ってもらいたい、と思っていた。

続きを読む

2007/09/18イタリアンタイム 《月刊スキージャーナル 2006年6月号》

 トリノパラリンピックを終えて、帰国してから早くも2週間が経ったが、とにかく慌ただしく、落ち着かない日々を送っている。3月23日夕刻、日本選手団一行は、成田空港に巨大な荷物の山をと共に降り立ったわけだが、私たちメダリストはまず記者会見、その後、都心のホテルに移動して仮眠、翌早朝にTBSの番組に生出演、という強行スケジュールだった。さらに私はNHKの番組出演を掛け持ちし、自宅に帰ったのは帰国後半日以上経ってからだった。パラリンピックが終わってからも、取材を受ける機会は多く、関心の高さに手応えを感じつつも、帰国後の生活ペースをうまく作ることができない自分に焦りを感じているのも事実だ。レースと無関係な、気楽なスキーを楽しみたい、という希望は残念ながら今シーズンは叶いそうにない。

続きを読む

2007/09/18誇れる遺産 《月刊スキージャーナル 2006年4月号》

 1月中旬、障害者アルペンスキー・ナショナルチームのメンバーは、巨大な荷物の山とともにまたも成田に集結、海外遠征へと旅立った。シーズン3度目となる今遠征の目的はお隣りの国、韓国で開かれるワールドカップ参戦だ。パラリンピックイヤーの今年、初の試みとしてアジアでワールドカップが開かれることになり、韓国でまず5レース、そして日本に移動して志賀高原で3レースが行なわれた。

続きを読む

2007/09/18寒サニモ負ケズ、冷エニモ負ケズ 《月刊スキージャーナル 2006年3月号》

 今シーズンの寒波はとても強いらしい。近年にしてはめずらしく、12月上旬から、「雪」という言葉をニュースで多く見かけた。シーズン始めは「今年は雪不足の心配がない」と喜んでいたのだが、年が明けてからも、大雪による被害やスキー場での雪崩発生などのニュースが絶えず、積雪の情報を楽しんでばかりはいられなくなってきた。例年なら東京で寒さを感じることはほとんどないのだが、風が冷たく、陽が落ちてからは急に冷え込むため、夜間の外出にはニット帽や手袋があるとうれしい日が続いている。

続きを読む

2007/09/18言葉と文化の壁を越えて 《月刊スキージャーナル 2006年2月号》

 前回は、シーズンイン合宿でチームとして初めて健常者のワールドカップを観戦した話をしたが、この合宿では他にも新たな試みが行なわれた。もっとも大きかったのが、チーム体制だ。ここ数年でもっとも早いシーズンインとなったため、他にも仕事を持っているチームの常任コーチやスタッフはこの海外遠征に参加することができず、ゲストコーチを招いてのトレーニングとなった。今回、忙しい本業の合間を縫ってチームのコーチングを引き受けてくれたのが、札幌オリンピック代表の大杖正彦氏だ。大杖さんとは、数年前から個人的には知り合いで、何度かトレーニングアドバイスを受けていたが、ナショナルチームとして招聘するのは初めてのことだった。チェアスキーヤー複数名の滑りを同時に見てもらえ、最新のカービングスキー操作をチェアスキーで行なうためにどうしたらよいか、きわめて具体的な技術アドバイスを受けることができたと思う。そんななかで、まだ高校生ながらワールドカップ優勝も経験している鈴木猛史選手の滑りは、チェアスキーの最新技術とでも言うべきもので、大杖さんにも多くのヒントを提供したようだ。障害別クラスが同じである私自身も、おおいに参考にさせてもらった。このように、シーズンイン合宿はきわめて効果的で、質の高いトレーニングを行なうことができた。

続きを読む

2007/09/18選手にとっての「試合」 観客にとっての「祭り」 《月刊スキージャーナル 2006年1月号》

 10月下旬から11月初旬にかけて、私たち障害者アルペンスキー・ナショナルチームは、オーストリアでシーズンイン合宿を行なった。場所は、健常者のワールドカップ開幕戦の舞台として知られる氷河スキー場のソルデン。今年はわれわれが到着した翌日、10月22日から2日間にわたりレースが行われた。雪上トレーニングを始める前に、まずはトップ選手たちの滑りを間近で見て、大会の雰囲気を生で味わうことで刺激を受け、モティベーションをあげようというチームの戦略だ。私にとってワールドカップ観戦は、2001年に志賀高原で開催されたとき以来になる。もちろん、スキー王国オーストリアで観る機会は今回が初めてだ。

続きを読む

2007/09/18パラリンピックイヤー いよいよ開幕! 《月刊スキージャーナル 2005年12月号》

 紅葉の便りが山から届き始め、富士山で初冠雪が観測されたというニュースを聞く頃になると、いよいよシーズン近し、とそわそわ落ち着かなくなるのは、雪山をこよなく愛する人たち皆が共有する心持ちだろう。

続きを読む

2007/09/18バランス感覚強化 カヌーでオフトレ(?) 《月刊スキージャーナル 2005年11月号》

 東京都心のコンクリートのジャングルに住んでいても、耳を澄ませば季節の変化を感じとることができる。ここ数日、セミの鳴き声に変わり、コオロギ(?)の美しい音色が耳に多く届くようになった。昨年よりは秋の訪れが早いように感じる今日この頃、もう少し夏らしいスポーツもしたかったなあ、とちょっぴり名残惜しくもある。

続きを読む

2007/09/18オフトレにはやっぱり自転車(か?) 《月刊スキージャーナル 2005年10月号》

 今年のオフシーズン中のトレーニング課題は、持久力の向上だ。シーズン中、ほぼ毎日、雪上に立つので、後半になるとどうしても疲労が蓄積しやすくなる。来年の最大の目標は3月に行なわれるトリノパラリンピックだが、11月から雪上トレーニングが始まると、ワールドカップなどが大会直前まで息つく暇なく続く。シーズンを乗り切るため、体力の底上げと疲れにくい身体をめざして、この時期は持久力向上に力を入れたいと考えている。

続きを読む

2007/09/18バリアフリー化の本当の意味(後編) 《月刊スキージャーナル 2005年9月号》

 前回のコラムで、東京都内を走るノンステップバスに乗った体験について書いた。たしかに看板に偽りはなく、段差を気にせずに乗ることはできたのだけれども、車いすユーザーがバスに乗るには、かなりの労力と時間が必要になることがわかった。そしてその結果、運転手や他の乗客の方々、そして車いすユーザー自身が、それぞれ我慢をしなければならない。海外では、自動でスロープの出し入れが可能なタイプのバスがずいぶん前から主流になっている国もあるのに、なぜ日本には導入されなかったのだろうか。その理由を、今回は自分なりに考えてみたい。

続きを読む

2007/09/18バリアフリー化の本当の意味(前編) 《月刊スキージャーナル 2005年8月号》

 先日、「ノンステップ」式の路線バスに初めて乗った。そしてそれは、バリアフリーについて多くのことを考えるきっかけとなった。

続きを読む

2007/09/18夢の新素材 《月刊スキージャーナル 2005年7月号》

 4月10日、私にとって2004/2005のスキーシーズンが少し早めに終了した。滑り納めは志賀高原で開かれた草レース。シーズン最後に、ワールドカップのようなプレッシャーのかかる試合とはまったく異なる、和やかな雰囲気の試合に出ることで楽しく締めくくる予定だった。しかし気を抜きすぎたのか、レース初日に発熱してしまい、2日目のレースはベッド上から観戦するハメとなり、滑り納めにしては締まらない終わり方になってしまった。

続きを読む

2007/09/18厳しい海外移動事情 《月刊スキージャーナル 2005年6月号》

 2月に行なわれた日本チームのワールドカップ遠征は、イタリア、オーストリア、スイスとヨーロッパ3カ国を移動するものだった。毎年、少なくとも一度は国際大会出場あるいはトレーニングを目的に海外に出ているが、今回のように3カ所のスキー場を転々とするのは初めてのことだった。そこで痛感したのが、移動にかかる肉体的、精神的な負担の大きさだ。

続きを読む

2007/09/18セストリエールへの第一歩 《月刊スキージャーナル 2005年5月号》

 先日、3週間に渡るヨーロッパ遠征から帰国した。イタリア、オーストリア、スイス3カ国のスキー場を転々とした今回の遠征の目的のひとつは、ワールドカップに参戦してポイントを取得すること。そしてもうひとつが、いよいよ来年に迫ってきた、イタリアで開かれるトリノ・パラリンピックで使用されることになっているコースの下見だった。

続きを読む

2007/09/18欧州遠征で問われる高速トレーニングの成果 《月刊スキージャーナル 2005年4月号》

 1月下旬、私たち全日本アルペンチームは白馬八方尾根でスピード系種目を中心にした合宿を行なった。使用したのは、長野オリンピックのときに女子の高速系種目が行なわれたコースの一部。本誌でおなじみの『スーパーGスペシャル』の開催に向けたコース作りの期間を利用し、練習させてもらうことができたのだ。八方尾根のスキー場やスクール、そしてスキージャーナルなど多くの方々のご理解とご協力に、まずは御礼を申し上げたい。とくに私は、合宿に引き続き『スーパーGスペシャル』の前走まで滑れたこともあって、とても充実した高速系トレーニングができたと実感している。

続きを読む

2007/09/18ケガの功名 《月刊スキージャーナル 2005年3月号》

 シーズン早々、派手な転倒で顔に傷を負ったことは先月号で報告したが、 その傷跡が消えきらないうちに、またしてもケガをしてしまった。今度は左脚の膝だ。「スキーヤーが膝を負傷」というと滑走中のケガのイメージが強いが、私の場合は違った。練習終了後、雪のない駐車場に車を停め、地面に降り立った次の瞬間、バランスを崩して膝をねじりながら転んでしまったのだ。私の左脚は、かろうじて歩ける状態で残っているものの、大きな後遺症がある。とくに膝周辺の靭帯はボロボロで、ちょっとしたはずみで痛めてしまうので(風呂の湯を脚でかき混ぜていて膝が外れかけたこともある!)、日常生活においても注意深く行動しなければいけなかったのだ。合宿という形式で練習を行った初日の出来事で、いつもと異なる状況に、注意力が散漫になっていたのかもしれない。とにもかくにもお粗末なケガではあるが、悔やんだところで仕方がない。

続きを読む

2007/09/18シーズン開幕。日本アルペンチーム 《月刊スキージャーナル 2005年2月号》

 12月3日、待望の初滑りができた。場所は例年通り、鹿沢ハイランド。異常気象で季節外れの暑さにもめげずに、コース幅、長さともに白く覆われる場所が少しずつ広がるのを見るのが楽しみだった。

続きを読む

2007/09/18飛躍のシーズン 《月刊スキージャーナル 2005年1月号》

 11月の声を聞くととたんに、「シーズン到来だ!」と心も身体もうずうず、東京での生活がいつもにまして嫌になり、山への願望は強くなる一方だ。ついインターネットを立ち上げては、スキー場のライブカメラ映像やら積雪情報を覗いてしまう。けれど、想いはなかなか届かないものらしく、「まだこれしか雪がないの〜!」と嘆く日々が続いている。すでに立冬を迎えたというのに、冬にはほど遠い暖かい日が続いていて嘆かわしいこと限りない。今年も例年どおり11月下旬からは雪上に立つ心づもりはできているのだが、果たして「立つ」だけでなく「滑る」ことができるくらい、雪が出来上がっているのだろうか。どうにもならないとは知りつつ、心配で仕方ない。

続きを読む

2007/09/18アテネに遺したパラリンピックの足跡 《月刊スキージャーナル 2004年12月号》

 パラリンピックが閉幕し、1カ月近くに渡る私のアテネ滞在が終わった。仕事のための海外滞在は、観光旅行やスキー目的の滞在とはひと味もふた味も違う体験だった。日本とは大きく異なる文化、習慣の違いに直面し、戸惑い、途方にくれることの多い1カ月だった。

続きを読む

2007/09/18プロアスリートの心と役割 《月刊スキージャーナル 2004年11月号》

 このコラムがみなさんのお手元に届く頃、ちょうどアテネ・パラリンピックが開催されているはずだ。先月号でも触れたとおり、私はNHK取材チームの一員として現地に入り、放送の仕事に明け暮れていることと思う。そして何を隠そう、このコラムはまさにアテネに向かう機内で書き始めている。

続きを読む

2007/09/18迫るアテネ、悩める日々 《月刊スキージャーナル 2004年10月号》

 皆さんの手元にこのコラムが届く頃には、きっとオリンピック報道で日本中がおおいに盛り上がっていることだろう。原稿を書いている現在は、まだ開幕前だが、テレビの画面にはもうずいぶん前から「アテネオリンピックまであと○日」のフレーズが踊り続けている。そして、その文字を目にし、耳で聞くたびに、焦燥感に駆られ、胃が痛くなる日々を、私はこのところずっと過ごしている。

続きを読む

2007/09/18思いは、はるかイタリアへ 《月刊スキージャーナル 2004年9月号》

 病院と縁の深い数カ月だった。まずは自分自身のアクシデントの報告から。ゴールデンウィーク明けの週末夜、ひどい吐き気と腹痛に襲われて救急病院に飛び込んだ。検査の結果は急性虫垂炎、緊急手術と相成った。交通事故で受傷した私にとって、病院は何かと縁のあるところだが、日本の病院に入院するのは久々だった。最近の入院暦といえば3年前のフランスでの入院騒動だ。ティーニュでの合宿中に転倒して、頭を打ち、ヘリコプターで運ばれたフランスの病院で数日を過ごした。以前のコラムにも書いたとおり、海外での入院はとてもスリリングで、文化や生活習慣の違いを感じる貴重な体験だ。とはいえ、身体にメスを入れる手術は、言葉の通じる日本の病院のほうが良いので、盲腸が暴れだしたのが海外遠征中でなくてよかった。

続きを読む

2007/09/18ハンディキャップはいかがですか? 《月刊スキージャーナル 2004年7月号》

 今シーズンの滑り納めは4月初旬の志賀高原だった。アイスティ・カップというシリーズレースの最終戦に、前走として出場したのだ。いわゆる草レースだが、他と少し違っているのは、障害者と健常者が一緒に楽しむことを目的のひとつに掲げていることだろう。実際、私のチームメイトもたくさん出場していて、ちょうどシーズン最後の打ち上げのように、わいわいと盛り上がっていた。ワールドカップと同様、一シーズンに複数の会場で行なわれてきており、登録チームによる団体表彰や、個人総合優勝などを決める最終戦でもあったため、余計に盛り上がっていたのかもしれない。真剣勝負のなかにも、春の暖かい陽気も手伝って、どことなく和やかなムードがあり、とても楽しい大会だった。

続きを読む

2007/09/18ゲレンデの忘れもの 《月刊スキージャーナル 2004年6月号》

 スキーシーズンがもうほとんど終わってしまった。今年はことのほか、春の訪れが早かった気がする。振り返ってみると、シーズン序盤は雪不足に悩み、予定通りの練習がなかなかできずにじれったい思いをした。ようやく雪が充分な量に達し、充実した練習ができるようになるとすぐ、世界選手権とワールドカップ参加のため、豊富な積雪量の日本を後にし、オーストリアへ。3週間後、帰国した私たちを待っていたのは、すでに春めいた雰囲気のゲレンデだった。その後、ゲレンデは無情にも積雪量を減らし続け、3月最終週には、菅平の山は全体が茶色っぽくなっただけでなく、ところどころ黒い土も顔を出すようになってしまった。本格的な冬はほとんどなく、秋が終わり冬が始まった……と思ったら、いきなり春が訪れてしまったようなシーズンだったように思えて仕方がないのは私だけだろうか。仕事の都合で早くも今シーズンの終了宣言をしなければいけない私は、いささか気が早すぎるのだが、すでに来シーズンが待ち遠しい。

続きを読む

2007/09/18初めてのドーピング検査 《月刊スキージャーナル 2004年5月号》

 今回も引き続き、世界選手権での体験をお伝えしたい。この大会で私は、選手としてとても重要なひとつの体験をすることができた。ドーピングコントロールである。オリンピック選手と同様、パラリンピック選手も禁止薬物の使用は禁止されており、表彰者のなかからアットランダムに選ばれた選手を対象に、抜き打ちで検査が行なわれている。もちろんアルペンスキー競技でも行なわれているが、幸か不幸か、私自身はこれまで、一度もドーピング検査の対象選手に選ばれたことがなかった。

続きを読む

2007/09/18不調を乗り越えて手にした金メダル 《月刊スキージャーナル 2004年4月号》

 オーストリアで開かれた世界選手権とワールドカップ遠征から帰国した。まずは結果からご報告したい。

続きを読む

2007/09/18世界選手権へ新たな試み 《月刊スキージャーナル 2004年3月号》

 世界選手権&ワールドカップ遠征への出発が、もう目前に迫ってきている。出発は今月21日。このコラムが読者の皆さんのお手元に届く頃には、オーストリアでレースに出場している予定だ。そんなこんなで、わがチームは、暮れも正月もほとんど関係なく、トレーニングに打ち込む日々が続いている。

続きを読む

2007/09/18シーズン初めの醍醐味 《月刊スキージャーナル 2004年2月号》

 11月27日、鹿沢ハイランドにて初滑りをした。アルペンチームのトレーニングはその前週末から行なわれていたのだが、諸般の事情により5日遅れでの、チーム練習参加となった。

続きを読む

2007/09/18世界選手権への思い 《月刊スキージャーナル 2004年1月号》

 今シーズンは、オーストリアのヴィルシュナウで世界選手権が開催される。障害者アルペンスキー世界選手権は、パラリンピックと同じく偶数年の開催されるため、4年に一度のサイクルとなっている。そして、そこで好成績を納めることの価値もまた、われわれ選手にとってはパラリンピックと同じと言っていい。

続きを読む

2007/09/18新兵器の実力は? 《月刊スキージャーナル 2003年12月号》

 先日、義足を新調した。6月に作り始め、紆余曲折を経て、ようやく完成に至ったのだ。人間の体型は、たとえわずかずつでも日々変化する。だから、長く使っているうちに、どうしても義足が合わなくなってきてしまう。そして合わない義足で歩き続けていると、義足を付ける部分(断端という)に傷ができるだけでなく、腰や背中など、あらゆるところに不要な負担をかけることになってしまい、体調が大きく崩れてくるのだ。今回、私が作り直すことを決めた理由も、まさしくそれだった。ところが、その矢先に左脚の膝を痛めてしまい、とても義足を作れる状況ではなくなってしまったのである。痛めた膝もどうにか癒え、義足作りを再開できるようになるまでには、ずいぶんと時間がかかってしまった。

続きを読む

2007/09/18飾り棚と出窓の仲間たち 《月刊スキージャーナル 2003年11月号》

 このところ、水泳や体操、陸上競技の世界選手権で、日本選手のメダル獲得が次々に報じられている。深夜におよぶ中継を見続けることはできなかったが、自分なりに応援はしていたつもりなので、日本選手たちの活躍はとてもうれしいし、元気が出る。

続きを読む

2007/09/18一緒に歩くと見えてくる世界 《月刊スキージャーナル 2003年10月号》

 7月下旬、「日本パラリンピアンズ協会(PAJ)」の設立総会が開かれた。「パラリンピアンズ」とは、パラリンピックに出場経験のある人のことを指し、PAJはその選手会にあたる。ちょうど2年前のコラムで、この選手会の設立をめざした活動について触れたが、ようやくその体制を整えることができ、まずはスタート地点に立てた格好だ。

続きを読む

2007/09/18アルペンスキーと音楽の深い関係 《月刊スキージャーナル 2003年9月号》

 わが家に新しい調度品がまたひとつ増えた。大人ふたりと犬1匹が共有する、決して広いとは言えないリビングで、新たに存在感を発揮し始めたのは、新入りの電子ピアノだ。

続きを読む

2007/09/18愛車選びの結論 《月刊スキージャーナル 2003年8月号》

 5月下旬、ついにわが家の愛車の新旧交代劇が行なわれた。雨の日も雪の日も風の日も、スキー場へ行く道をともに走ってきたレガシィとの別れの朝は、ちょっと切なかったが、その日の夕方には、新しい車が車庫に納まっていた。

続きを読む

2007/09/18あっけなく、意外な幕切れ 《月刊スキージャーナル 2003年7月号》

 ゴールデンウィークも終わり、とうとう国内で滑れるのは、ごくごく限られたゲレンデだけになってしまった。日本国内で「冬」を満喫していた多くのスキー愛好者にとっては、あっという間にやってきてしまった「オフシーズン」ではないだろうか。これから蒸し暑く、寝苦しい夏を迎え、ひたすら毎日毎晩、次なる「シーズン」の到来を待ちわびる日々がやってくるのだ。しかし、今はそれなりに過ごしやすい陽気である。次にくる季節を先どりして、憂鬱になる必要はこれっぽっちもない。とはいえ、来るべき次期シーズンを待ちわびるのは、あまりに早いだろうから、今はやはり、終わったばかりのシーズンを振り返る季節なのかもしれない。

続きを読む

2007/09/18『ユニバーサル』なスポーツとしての可能性 《月刊スキージャーナル 2003年6月号》

 先日、日本スキー学会に参加する機会を得、発表会場となった秋田県田沢湖まで行ってきた。「スキー学会」はその名のとおり、スキーに関する研究をしている学者の集まりである。普段、一競技者としてスキー場に立っているだけだと、なかなか出会う機会の少ないスキー関係者だ。今年の学会のテーマが「障害者スキー」ということで、3日間の学会の先陣をきる基調講演という形で、学会員の皆さんの前で話をすることになったのだ。

続きを読む

2007/09/18新しいライバル 《月刊スキージャーナル 2003年5月号》

 2月に開かれたワールドカップは、ソルトレイク・パラリンピック以来、出会う機会のなかった海外の選手たちと旧交を温める場所になった。毎シーズン初頭、久しぶりに再会したライバルたちと欧米式にハグや握手をしながら、「今シーズンの調子はどう?」「チェアスキーのフレームを変えたの?」などと情報交換をし、再会を喜び合う。けれども今年のワールドカップ初戦となったオーストリアのアプテナウには、私がもっとも大切にしていた友人のひとりの姿はなかった。

続きを読む

2007/09/18クリスタルトロフィー獲得へ向けての課題 《月刊スキージャーナル 2003年4月号》

 1月27日朝。愛車に荷物を満載し、成田空港へと向かう。毎度のことながら、レガシィの積載能力の高さに感謝。ちなみに空港カウンターでの計量によると、我がチームの荷物の総重量は1.9トンに達した。これだけの荷物を抱えて、われわれが向かう先はオーストリア。障害者スキー・ワールドカップへの出場が、その目的だ。

続きを読む

2007/09/18大人になった新生全日本障害者アルペンチーム 《月刊スキージャーナル 2003年3月号》

 スキーシーズン真っ只中である。年末年始をはさみ、菅平でのトレーニングが順調に続いている。天候にも比較的恵まれ、私が参加したチーム合宿のなかで、悪天候によって練習が中止になったのは、これまでのところ、一日だけである。

続きを読む

2007/09/18人生、そしてスキーの醍醐味 《月刊スキージャーナル 2003年2月号》

 まずは先月号のコラムをお休みした経緯からお話ししたい。このコラム原稿は毎月初旬に書くことになっているのだが、11月はタイミングが悪く同じ時期にふたつの番組のロケを並行して行なわなければならなくなってしまった。そのような状況では、このコラムを書く余裕はとてもないと思い、休載させていただいたしだいである。結果的に、その判断は正しかった。いざ11月に入ると、実にさまざまな出来事が次々と、私の予想をはるかに超えて降りかかってきたのだ。

続きを読む

2007/09/18次代の相棒探し 《月刊スキージャーナル 2002年12月号》

 先シーズンはスキー場にいる日数がいつもの年よりも多かった。菅平、志賀高原、白馬、アライなど長野県、新潟県、そして職場と自宅のある東京を渡り歩いていた。そんな私の足になってくれたのはもちろん、わが愛車、レガシィである。多くのスキーヤーから愛されているレガシィの魅力は、四輪駆動の強さが雪道で発揮されること、スタイリッシュでありながらなおかつ、たくさんの荷物を積めることなどがあるのではないだろうか。パラリンピック・アルペンチームにも愛好者は多い。私がレガシィと出会ったのは、社会人1年生になる年の春だった。雪道運転に自信のない私は、「ひとりでも滑りに行けるように」を口実に、大学生にしてはきわめて贅沢であったが(と私は思っていたが)、四駆でスキーヤーに人気の一台を私の相棒に指名したのだった。

続きを読む

2007/09/18雪国生活の表と裏 《月刊スキージャーナル 2002年11月号》

 数日前、沖縄へ行って来た。といっても残念ながら、夏の海を満喫しに行ったわけではなく、取材、つまり仕事が目的の沖縄訪問だ。

続きを読む

2007/09/18スポーツの持つ「負」と「正」の影響力 《月刊スキージャーナル 2002年10月号》

 今、日本ではもう一つのワールドカップサッカーが行なわれている。知的障害をもつ選手たちが、世界16カ国から集まって、チャンピオンの座を競っている最中なのだ。先日、その大会関連イベントとして行なわれた国際シンポジウムに、パネルディスカッションのパネリストとして出席する機会を得た。パネリストは、国際知的障害者スポーツ連盟会長のジョス・マルダー氏、スポーツジャーナリストの二宮清純氏、この大会の日本代表監督である大橋浩司氏、そして私の4 名である。障害者スポーツの組織事情を知っている人が見れば、かなり変わった組み合わせであることに気づかれると思う。

続きを読む

2007/09/18「モンド」がわが家にやってきた 《月刊スキージャーナル 2002年9月号》

 わが家に家族が増えた。といっても人間ではなく、生後2カ月ちょっとの、トイ・プードルの子犬だ。

続きを読む

2007/09/18スポーツは誰のもの? 《月刊スキージャーナル 2002年8月号》

 ワールドカップサッカーが連日、大変な盛り上がりを見せている。私も初戦のフランス×セネガル戦に始まり、可能な限り、テレビ観戦に勤しむ日々を送っている。とくに日本戦ともなると、わが家は大変な騒ぎになる。夫とふたりで、一瞬でも目を離すまい、と画面前に陣取り、ゲームが動くたびに一喜一憂して歓声や悲鳴をあげて応援する。そしてドキドキ・ハラハラの90分が終わると、目分自身が戦ったかのように興奮し、疲れきっているのだ。

続きを読む

2007/09/18あれもアメリカ、これもアメリカ 《月刊スキージャーナル 2002年7月号》

ソルトレイクでは、選手村とアルペン会場のスノーベイスンを片道1時間半、バスに揺られて往復する日々が続いた。ほぼ毎日、夜が明けきらない時問から硬いシートに揺られていると、体力の消耗が激しい。20日間、体調を良い状態に保つためには、選手村での生活に余計な体力を使うゆとりはなく、現地の人とのコミュニケーションの機会はとても少なかった。そんな自室と食堂、バス停を行き来するだけの慌しい生活に、ちょっとした彩りを添えてくれたのが、バス停や移動中に出会うボランティアたちとの出会いだった。

続きを読む

2007/09/18「自分らしい滑り」のむずかしさ 《月刊スキージャーナル 2002年6月号》

 「春眠暁を覚えず」。ここ数日の私の生活を表わすのに、これほどぴったりする諺(ことわざ)はない。ソルトレイクから帰国して、かれこれ20日あまり、毎日毎日、われながら感心するほど眠たい日々を送っている。目覚まし時計や電話に起こされない限り、10時問、}時問と眠り続けてしまうのだ。

続きを読む

2007/09/18ソルトレイクに行ってきます 《月刊スキージャーナル 2002年4月号》

 オリンピックがいよいよ開幕した。この原稿を書いている段階では、アルペンスキーは男女のダウンヒルが行なわれたばかりだ。会場となっているスノーベイスンは、1カ月後には私たちパラリンピック・アルペン選手の戦いの舞台ともなるスキー場である。去年、同じコースをワールドカップで滑っているので、オリンピックの映像を見ていると、コースレイアウトが思い出せる。

続きを読む

2007/09/18スキー場にも「わが家」を…… 《月刊スキージャーナル 2002年3月号》

 トップシーズンである。今年は雪の当たり年らしい。ゲレンデ情報には、年末から早くも「全面滑走可能!」の文字があちらこちらで躍っていた。「大雪の恐れあり」などとニュースで報じられ、雪に埋まった町をテレビで見ていると、雪かきに追われ、交通ダイヤの乱れで足止めを食らうご当地の方々には申し訳ないが、「雪だ雪だ!」と思わず歓喜の声をあげてしまう。というわけで、私は今、当然のようにスキー場にいる。

続きを読む

2007/09/18ケガへの恐怖心よりも強いもの 《月刊スキージャーナル 2002年2月号》

 今年も例年どおり、私たちのチームは、フランス・ティーニュで合宿を行なった。同時多発テロの影響で海外合宿を自粛するチームが多い、という噂は聞いていたし、事実、成田を出発する日本人が減っている、という実感はあった。けれど、われわれのチームに関しては議論の片鱗さえ起こらなかったらしい。その理由については、ある選手いわく「うちの選手のほとんどが一度や二度、死の淵を覗き込んでいるからね。テロなんかにいちいちビビッていたらスキーしてられないでしょう」ということだそうだ。コーチ・スタッフはいざ知らず、選手に関してはたしかにそのとおりだ。これから自分たちがしようとしているスキーのほうが、確率論から言えばテロに巻き込まれるより危険かもしれないのだから……。

続きを読む

2007/09/18もうひとりの自分 《月刊スキージャーナル 2002年1月号》

 ソルトレイク・パラリンピックの開催まで、あと3カ月ほどに迫った。日本からは、アルペンスキー14名、ノルディック8名、アイススレッジホッケー15名の、計37名が参加する。

続きを読む

2007/09/18旅先の「恥」と「常識」 《月刊スキージャーナル 2001年11月号》

 8月、4年ぶりにニュージーランドを訪れた。うだるような猛暑の日本を飛び立てば、南半球の到着地はもちろん冬真っ盛り、当然、目的はスキーである。長野パラリンピック前の2年問、チームで行なっていたニュージーランド遠征が、ソルトレイク大会を直前にして、復活したのだ。トレーニングするスキー場も宿舎も4年前とまったく同じである。

続きを読む

2007/09/18新たな一歩 《月刊スキージャーナル 2001年10月号》

 パラリンピックで行われる競技がいくつあるかご存知だろうか。長く障害者スポーツの世界にいて、パラリンピック委員会の運営委員なども、形ばかり引き受けている私だが、この質問にすぐには答えられなかった。ちなみに、開催されるたびに競技数の増減があるので、近年の例をとると、夏のシドニー大会では18 競技、あと200日ちょっとに迫ったソルトレイク大会では、長野大会よりひとつ少ない4競技が行なわれる。

続きを読む

2007/09/18ダンボール箱に囲まれて 《月刊スキージャーナル 2001年8月号》

 引越しをした。物心ついてから2度目の引越しだ。入社してすぐに社宅として借りてもらったマンションでひとり暮らしを始めてから早くも丸5年、会社の規則で決まっている借り上げ期間の満了と、結婚というプライベートな状況変化が偶然(?)重なり、ワンルームマンションを後にすることになったのだ。

続きを読む

2007/09/18本当のバリアフリー 《月刊スキージャーナル 2001年7月号》

 車椅子を日常的に使っているチェアスキーヤーにとって、駐車場からゲレンデまでのアクセス、そしてトイレの場所や整備状況はゲレンデコンディションと同じくらい重要な問題であり、スキー場選びの大きなポイントとなる。ゲレンデまでのアクセスが悪ければ、選手だけでなくチームにも大きな負担がかかるのはもちろんのこと、大会運営そのものにも差し支える事態が生じる。しかし、障害のあるスキーヤーにとって使い勝手の良いスキー場が、試合会場にふさわしい斜度や雪質を併せ持つとは限らない。大きなイベントの場合、コースのおもしろさを優先して会場を決め、アクセスを改良する場合もあるようだ。

続きを読む

2007/09/18「当たる」から「倒す」へ 《月刊スキージャーナル 2001年6月号》

 スラロームのトレーニングや試合の時、私はかなり早くから準備を始めなければいけない。敏捷性とリズムが要求される種目だから、いつもよりとくに入念なウォームアップが必要、というわけではない。さまざまなプロテクターを身に着けるのに相当な時間がかかるからだ。

続きを読む

2007/09/18綱渡りのメダリスト 《月刊スキージャーナル 2001年5月号》

 ワールドカップでスノーベイスンに行って来ました! 来年のオリンピック・パラリンピックの舞台となるスキー場です。

続きを読む

2007/09/18パラリンピックの遺産 《月刊スキージャーナル 2001年4月号》

 長野パラリンピックが街の話題の一角を占めていた頃、某新聞が「パラリンピックのレガシィ」というタイトルの記事を掲載したことがあった。スキーヤーにはおなじみの、某メーカーの車に乗っている私は一瞬、「車の話?」と思ったものだが、もともとレガシィとは英語で「遺産」を意味している、と気づいたのはだいぶ後になってからだった。そんなお粗末な話はともかくとして、確かその記事はパラリンピックが終わった後、開催地として、何か得るものがあったか、今後につながるようなものが残ったか、を検証した内容だったように記憶している。

続きを読む

2007/09/18ニューマシン登場 《月刊スキージャーナル 2001年3月号》

 今回もマテリアルの話をしたいと思う。長野パラリンピックのときに、メカニカルな容姿で注目を集めたチェアスキーはその見かけどおり、大胆な開発コンセプトと微妙なチューンが勝敗を大きく左右するマテリアルだ。そして当然のことながら、各国の開発競争に終着点はない。ドイツなど強豪国と同等かそれ以上の性能、という高い評価を得ていた日本チームの「長野モデル」チェアスキーの改良も、大会が終わった直後から行なわれてきた。そして今回、2世紀にまたがって行なわれたナショナルチームの北海道合宿には、いよいよ来年に迫ったソルトレイク大会向けのモデルを開発している技術者集団「Sプロジェクト」から、「ソルトレイクモデル」のプロトタイプ・チェアスキーが持ち込まれた。

続きを読む

2007/09/18不得意ターン克服への道 《月刊スキージャーナル 2001年2月号》

 皆さんには得意ターンと不得意ターンがないだろうか。失敗するときは決まって同じターンだったりして、「得意な側と同じような滑りをもう一方でもしたいのに」という悩みを持っている人は多いのではないかと思う。

続きを読む

2007/09/18シドニーの成果と課題 《月刊スキージャーナル 2001年1月号》

 20世紀最後のビッグスポーツ大会、シドニーパラリンピックが幕を閉じた。7月からその報道準備をしていた私にとって、大会はあっという問に始まり、怒涛のような毎日の中で、ふと気づけば閉会式を迎えていた感がある。長いようで短く、充実した日々だった。2年前の長野パラリンピックでは選手の立場で取材を受け、そこで感じたことをメディアとしての自身の取材姿勢に反映させるように心がけた。そして今回のシドニー大会では、逆に選手や大会の様子を客観的に見ることができた。現役選手でありながら、メディアの視点で大会を見られたことは、選手としての自分をあらためて強く自覚するきっかけになった。

続きを読む

2007/09/18スキーの魅力、スキー場との出会い 《月刊スキージャーナル 2000年12月号》

 「パラリンピックにはいろんな種目があるのに、どうしてスキーを選んだの?」

続きを読む

2007/09/18シドニーへの日々 《月刊スキージャーナル 2000年11月号》

 このコラムを読者の皆さんが読まれるであろう9月下旬は、テレビも新聞もシドニーオリンピックの話題一色に染まっているころだろう。そして私目身は、オリンピックが閉幕してから約2週間後に開幕する、シドニーパラリンピックの最終準備に追われているはずである。もちろん選手としてではない。夏季大会であるシドニーでは、長野パラリンピックとは180度立場を変えて、選手の活躍ぷりを伝えるメディアの一員として現地に行く予定なのだ。私は、この7月から NHK内に設置されているパラリンピック準備事務局に所属して、放送準備をひたすら行なっている。ちょっと堅い話で恐縮だが、今回は、パラリンピックを放送する前段階として、さまさまな準備をしていくなかで考え、感じていることを書いてみたいと思う。

続きを読む

2007/09/18快適ドライブは左手で 《月刊スキージャーナル 2000年10月号》

 夏休み、多くの人が帰省や旅行のために、日本中を大移動する。高速道路も、人問や荷物、ペットなどを満載した自家用車で埋め尽くされる。帰郷する田舎を持たず、また、来たるべき冬のために夏に休暇をとらないことにしている私にとっては、渋滞で動かないこの時期の高速道路は、テレビ画面で見て「ああ、大変そう」と同情していればいい。しかし冬になると、立場が変わり、渋滞の真っ只中にはまる危険をつねに感じつつ、ゲレンデと自宅の間を移動する、当事者になってしまう。

続きを読む

2007/09/18多才の人 《月刊スキージャーナル 2000年9月号》

 先日、多彩な能カを持った人と出会った。彼、マティアス・ベルク氏は元アルペンスキー選手であり、元陸上選手でもある。そして現在は法律家として活動しているが、今回は、プ□のホルン奏者という立場での来日だった。読者の皆さんを冒頭から混乱させるようで恐縮だが、4つもの異なる分野でそれぞれに成功を収める、スーパーマンのような人問に会ったわけだ。

続きを読む

2007/09/18水を得た魚になる季節 《月刊スキージャーナル 2000年8月号》

 オフシーズンである。5月のゴールデンウィークに志賀高原で滑ったのを最後に、私の99/00シーズンは終わった。スキーヤーという立場から見ると、一年の中で一番のんびりしている時期である。しかしパートタイムアスリートの私にとっては、本業に精を出す稼ぎ時(働き時?)でもある。そして仕事に本格的に取り組み始め、ふと気づくと、土目・昼夜を間わず、食事の時間も無視して、ロケの準備やら編集やらに取り組んでいる、仕事中毒の自分がいる。仕事の性質上、同僚の大半はそんな人たちばかりであるから、自分の仕事ぶりが不健康であることに気づくチャンスはあまりない。番組制作のおもしろさとプレッシャーから、仕事の泥沼にどっぷりはまりこむのは容易である。それに、週末ごとのスキー場通いがしたくてもできなくなり、「たまにはショッピングもいいな」などという気も頭をもたげてくる。

続きを読む

2007/09/18「あのドラマ」を私たちはどう見たか 《月刊スキージャーナル 2000年7月号》

 日本は社会全体の動きが速い国だな、という印象を海外から帰ってくるたびに私は持つ。3カ月も留守にしたならば、その聞に社会を騒がせる事件のひとつやふたつは起こって当然だろうし、四季の移ろいが激しいこの国では、衣服の流行や「時の人」が変わっても不思議ではない。しかし2週間、いや、ときには1週間しか日本を離れていなくても、帰国してみると、流行しているものが変わっていた、ということもよく経験するのだ。これは日本の社会の特徴なのかもしれない。

続きを読む

2007/09/18電車にチャレンジ 《月刊スキージャーナル 2000年6月号》

 スキーの現役選手が住んでいるところ、といえぱやはりスキー場に近い地方が圧倒的に多いであろうことは容易に想像がつく。世間一般の人の、スキー選手に対するイメージもそうしたものらしく、私が東京に住んでいる、と知ると「よくそれでスキーを続けられますね」と半ぱ感心、半ばあきれたような反応が返ってくることが多い。たしかに、スキー選手に限らずスポーツは、技術的なトレーニングの量が多いほど良いわけで、ゲレンデからさほど遠くない、雪がすぐに見られるとこるに住んでいたほうが強くなれそうではある。とくに、平日は仕事をしながら選手を続けている私のような「パートタイムアスリート」は、ゲレンデに行くまでの時聞を考えると、「スキー場の中に住みたい!」と思うことも多い。

続きを読む

2007/09/18命名「ヒナビタクニコ」 《月刊スキージャーナル 2000年5月号》

 海外遠征にチームで行くときには、現地で生活する日本人の方に通訳をお願いすることが多い。日本から行くチームメイトやコーチ、そしてスタッフは、合宿などで寝食をともにし、互いの性格を知った間柄である人がほとんどである。それに対して、到着した空港でチームに合流するケースが多い通訳の場合、その人となりはもちろん、どこでどのような生活をしている人なのが、事前情報はほとんどない。通訳として来る人の立場からすれば、まったく知らない人間とこれから2週間近く一緒に生活し、勝手がわからないなかで仕事をするだけでも、それなりの不安感はあるのが当然なのだろう。見かけよりは人見知り(?)な私がもしその立場だったら、プレッシャーに負けてしまうかも、と思う。通訳のなかには「障害者」のことをわからず不安だと思っている人や、スキーを履いたことがなく、ゲレンデに行くのに不安を感じている人(!)までいたりで、その出会いはお互いに不安と期待が入り交じったものになるのが通例だ。

続きを読む

2007/09/18チェアスキーに乗ろう 《月刊スキージャーナル 2000年4月号》

 日本でパラリンピックが開かれてから、まもなく丸2年が経とうとしている。この数年で、障害のあるスキーヤーを取り巻く状況はかなり変わった。チェアスキーを使ったり、片脚で滑っている人や、ガイドと滑る視覚障害の人がゲレンデに存在することが、ようやく当たり前のこととして認知されてきたような気がする。

続きを読む

2007/09/18コロラド珍道中 《月刊スキージャーナル 2000年3月号》

 12月初旬、アメリカのコロラド州ブレッケンリッジで行なわれたワールドカップ初戦に参加した。「え、ワールドカップもあるの?」と驚かれることがまだ多いが、パラリンピックを頂点とする競技系の障害者スポーツは、世界的にますますその競技志向を強めている。アルペンスキーでは今シーズンから、FIS公認のレースとしてのワールドカップが新たなスタートを切った。年々レベルアップする選手たちと互角に戦い続けるにはワールドカップへの参加は不可欠であり、どうしても参加したい大会だった。しかし日本チームの現状は、長野パラリンピック終了以来、糸の切れた凧のようにどこへ向かうとも知れず浮遊していたものが、今シーズン、ようやく再結成の動きが見えてきた段階。とてもチームとして参加できる体制は整わず、今回は選手2名、コーチ2名で自主参加した。

続きを読む

2007/09/18フランス合宿日記 《月刊スキージャーナル 2000年2月号》

 今回は、11月にフランスのティーニュで行なわれた合宿の様子をお伝えしたい。

続きを読む

2007/09/18選手の引き際 《月刊スキージャーナル 2000年1月号》

 パラリンピックの選手の特徴は何だろうか? その一、「身体に障害がある」。これは誰もがよく知っている特徴である。というより、長野パラリンピックを契機にその存在がアピールできたとはいうものの、本当の意味で日本のスポーツ界に根づいたとは言えない現在の状況では、「特徴」と言われてもそれほど詳しくはご存知ない方がほとんどだろう。というわけで、私が最近、気になっている他の特徴もあげてみたい。

続きを読む

2007/09/16思い出の写真 《月刊スキージャーナル 1999年12月号》

 先日、一年半ぶりに写真の一大整理をした。私にとって昨年、1998年は、これまでの人生最大の激動の年であり、たくさんの思い出の写真が手元に残った。長野パラリンピックが今からもう一年半も前のことになる、ということが信じられないくらい、98年3月からの一年はパラリンピックに関係する行事へ出席したり、何かと話題になる機会が多かった。

続きを読む