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2008/09/20雑誌「近代セールス」(2008/8/15号) “特集★バリアフリー時代の営業店づくり”に掲載
2008/01/25人生の転換期《月刊スキージャーナル 2007年7月号》
私が初めて、スキージャーナルと出会ったのは今からちょうど、10年前、1997年のことだ。編集部のひとりがチームの合宿地に取材に訪ねてくれたのがきっかけだった。長野パラリンピックを翌年に控え、メディア関係者が少しずつ姿を見せるようになってはいたものの、スキー専門誌の取材は初めてのことだった。
2008/01/25イタリアって不思議《月刊スキージャーナル 2007年6月号》
今シーズンの活動がほぼ終わった。世界的な雪不足に翻弄されたシーズンだった。とくにヨーロッパ、なかでもスキー王国・オーストリアでの雪不足は日本と同等か、それ以上の深刻さだったかもしれない。
2008/01/25選手引退後の第二の人生《月刊スキージャーナル 2007年5月号》
アメリカ・アスペンで開かれたワールドカップで、思いがけず、懐かしい人たちに会うことができた。ひとりは私のライバルであり、もっとも尊敬する選手であるサラ・ウィル。92年のアルベールヴィル大会からパラリンピックに参戦し、表彰台の中央に数多く立ち続け、02年のソルトレイクシティ大会で見事に四冠
2008/01/25バンクーバー大会に向けて考えること《月刊スキージャーナル 2007年4月号》
1月、ワールドカップ北米シリーズに参戦してきた。アメリカはコロラド州アスペン、カナダではBC州キンバリーが今回のレース会場だ。約2週間の期間中に、移動を含めながら、全部で9レースが行なわれた。
2008/01/25旭川を満喫!《月刊スキージャーナル 2007年3月号》
12月下旬、カナダから帰国してまもなく、今度は北海道に出かけた。目的地は旭川。4泊5日の日程で市内に滞在し、講演会やスポーツ施設の見学、スキー場の視察とデモンストレーションを兼ねた滑走、そして犬ぞり体験など、盛りだくさんでなかなか楽しい旅をしてきた。
2008/01/25寒波に見舞われたカナダ遠征 《月刊スキージャーナル 2007年2月号》
今、このコラムをチーム遠征先であるカナダの宿舎で書いている。今回の合宿地は、パノラマスキー場だ。玄関口となる空港はカルガリーで、最寄の街はバンフ。いずれもアルバータ州なのだが、ここパノラマは2010年のオリンピックおよびパラリンピックが開かれるウィスラーと同じブリティッシュコロンビア州
2007/11/27雑誌「ちゃぐりん」(2007年12月号)“いのちの音色”コーナーに掲載
2007/10/24TBS「朝ズバッ!」スポーツコーナーにて紹介
2007/10/08雑誌「更生保護」(2007年9月号)”ずいそう”コーナーに掲載
2007/09/30TKC西東京山梨会秋季大学(2007年9月14日)
大日方流の壁の破り方を披露
2007年9月14日 16:30~18:00/京王プラザホテル八王子
主催:TKC西東京山梨会
2007/09/25ヨッテクスペシャルトークショー(2007年7月7日)
トークショーのナビゲーター役に挑戦
『ヨコハマ・ヒューマン&テクノランド2007』
2007年7月7日13:30〜14:15 /パシフィコ横浜展示ホール
主催:社会福祉法人 横浜市リハビリテーション事業団
2007/09/25岩谷 高峰さん
2007/09/18バンクーバーに向けた新たな出発点 《月刊スキージャーナル 2007年1月号》
10月22日から約2週間、昨年に引き続き、今年もオーストリアの氷河、ゾルデンで障害者アルペンチームのシーズンイン合宿が行なわれた。ほぼ同時期に行なった昨年の合宿は、振り返ってみるとトリノ大会でのメダルに直接的につながる実り多いトレーニングだった。そして今年、私はまた、2010年バンクーバー大会に向けた新たな決意を胸に、ゾルデンで新シーズンを迎えた。セストリエールのスラローム以来、実に約7カ月ぶりの雪上は、今まで同様、いやそれ以上に新鮮で、心躍らせてくれるものだった。
2007/09/18大切なのは「ソフト」の充実 《月刊スキージャーナル 2006年12月号》
先日、沖縄にちょっと変わった旅行をしてきた。一応、遅い夏休み旅行ではあったのだが、まったくの観光旅行というわけではない。那覇市街にはまったく足を踏み入れず、ほかの観光名所にも立ち寄りはなし。基本的に、ホテルで過ごす2泊3日の旅。実をいうと、知人に頼まれて、あるリゾートホテルに滞在するモニター旅行に、夫と一緒に参加したのだ。
開業してわずか1年というホテルだが、先ごろ経営が外資に変わった。それを機に、いわゆるユニバーサルデザイン(※「誰にでも使いやすく」という考え方)に基づいたサービスに力を入れたいと考えているのだという。その取り組みを軌道に乗せるためのアイディアのひとつとして、実際にホテルを利用して率直な意見を伝えるためのモニター旅行が企画されたというわけだ。
2007/09/18新しい“オモチャ” 《月刊スキージャーナル 2006年11月号》
先日、「ハンドサイクル」なるオモチャをついに手に入れた。トレーニンググッズと言うべきか、移動手段としての乗り物というべきか、はたまた“高級なオモチャ”と表現するべきか、冒頭から表現を迷ってしまうのだが、それはともかく、今一番、私が気に入っている新しい所有物であることはまちがいない。「ハンドサイクル」とは、足の代わりに腕でペダルを漕ぐ自転車のことだ。チェアスキーを使えば両脚の筋力を使わなくてもスキーを楽しむことができるのと同じように、ハンドサイクルも腕の力だけで自転車と同じような推進力を得ることができる用具なのだ。ハンドサイクルのことは昨年、トリノ・パラリンピック前のコラム(2005年10月号)でも言及したので、記憶のある読者諸氏もいらっしゃるだろうか。
2007/09/18格好よくオシャレを楽しもう 《月刊スキージャーナル 2006年10月号》
暑い季節に唐突かもしれないが、スキーシーズン中の雪山で過ごすときやゲレンデとの往復の間、皆さんはどんな服装をしているだろうか。私の場合、ゲレンデへ向かう道中からレーシングスーツ(いわゆるワンピ)の上にウィンドブレーカーを着ていることが多い。チェアスキーのシートは、ワンピを着た状態で型どりをしていて、身体にぴったりとフィットするように作られているので、たとえ基礎トレーニングしかしなくても、スキーウェアのパンツを履いて滑る、というわけにはいかないのだ。
2007/09/18ヒントは「誰でも、手軽に」 《月刊スキージャーナル 2006年9月号》
先日、知人に誘われ、霞ヶ浦でヨットの操縦を初体験した。私が試したのはふたり乗りの小型ヨットで、「アクセスディンギー」という。1〜2名乗りの小型ヨット「ディンギー」が「アクセス」しやすい、つまり誰にでも乗りやすいように工夫されたのが「アクセスディンギー」だ。オーストラリアで開発されたこのヨットは、もともとは大きな船と港の間を往き来する小舟として考案されたものだそうだが、操船がむずかしくなく、初心者や高齢者、そして身体に障害のある人でも乗ることができる船として、世界中で人気が高まり、普及が進んでいるヨットだ。
2007/09/18言葉の意味とニュアンス 《月刊スキージャーナル 2006年8月号》
トリノから帰国して、気がつけば早くも3カ月近くが経とうとしている。手元のスケジュール手帳を開いて振り返ってみると、この間、少なくとも週に1回以上は、パラリンピックに関連する公式行事や取材、対談、講演会などの予定が入っている状態だった。多くの場合、トリノで獲得した3つのメダルが私のお供だ。新宿御苑、日本記者クラブ、首相官邸、そして皇居……。3つのメダルはずいぶん多くの場所で、さまざまな方々の手にとられ、トリノパラリンピックのことを思い出してもらう材料となった。
2007/09/18たまには野球観戦でもいかが? 《月刊スキージャーナル 2006年7月号》
4月26日、千葉マリンスタジアムで今シーズン初の野球観戦をした。私たち障害者アルペンスキー・ナショナルチームのスポンサーになってくれているロッテから、マリーンズの試合に招待していただいたのだ。プロ野球の試合は何度か球場まで見に行っているが、今回はただの観戦ではない。チームスポンサーとして私たちの活動を支えてくれたその御礼の意味を込めて応援に出かけるのだから、この日の対オリックス戦で、千葉ロッテマリーンズにはなんとしても勝ってもらいたい、と思っていた。
2007/09/18イタリアンタイム 《月刊スキージャーナル 2006年6月号》
トリノパラリンピックを終えて、帰国してから早くも2週間が経ったが、とにかく慌ただしく、落ち着かない日々を送っている。3月23日夕刻、日本選手団一行は、成田空港に巨大な荷物の山をと共に降り立ったわけだが、私たちメダリストはまず記者会見、その後、都心のホテルに移動して仮眠、翌早朝にTBSの番組に生出演、という強行スケジュールだった。さらに私はNHKの番組出演を掛け持ちし、自宅に帰ったのは帰国後半日以上経ってからだった。パラリンピックが終わってからも、取材を受ける機会は多く、関心の高さに手応えを感じつつも、帰国後の生活ペースをうまく作ることができない自分に焦りを感じているのも事実だ。レースと無関係な、気楽なスキーを楽しみたい、という希望は残念ながら今シーズンは叶いそうにない。
2007/09/18誇れる遺産 《月刊スキージャーナル 2006年4月号》
1月中旬、障害者アルペンスキー・ナショナルチームのメンバーは、巨大な荷物の山とともにまたも成田に集結、海外遠征へと旅立った。シーズン3度目となる今遠征の目的はお隣りの国、韓国で開かれるワールドカップ参戦だ。パラリンピックイヤーの今年、初の試みとしてアジアでワールドカップが開かれることになり、韓国でまず5レース、そして日本に移動して志賀高原で3レースが行なわれた。
2007/09/18寒サニモ負ケズ、冷エニモ負ケズ 《月刊スキージャーナル 2006年3月号》
今シーズンの寒波はとても強いらしい。近年にしてはめずらしく、12月上旬から、「雪」という言葉をニュースで多く見かけた。シーズン始めは「今年は雪不足の心配がない」と喜んでいたのだが、年が明けてからも、大雪による被害やスキー場での雪崩発生などのニュースが絶えず、積雪の情報を楽しんでばかりはいられなくなってきた。例年なら東京で寒さを感じることはほとんどないのだが、風が冷たく、陽が落ちてからは急に冷え込むため、夜間の外出にはニット帽や手袋があるとうれしい日が続いている。
2007/09/18言葉と文化の壁を越えて 《月刊スキージャーナル 2006年2月号》
前回は、シーズンイン合宿でチームとして初めて健常者のワールドカップを観戦した話をしたが、この合宿では他にも新たな試みが行なわれた。もっとも大きかったのが、チーム体制だ。ここ数年でもっとも早いシーズンインとなったため、他にも仕事を持っているチームの常任コーチやスタッフはこの海外遠征に参加することができず、ゲストコーチを招いてのトレーニングとなった。今回、忙しい本業の合間を縫ってチームのコーチングを引き受けてくれたのが、札幌オリンピック代表の大杖正彦氏だ。大杖さんとは、数年前から個人的には知り合いで、何度かトレーニングアドバイスを受けていたが、ナショナルチームとして招聘するのは初めてのことだった。チェアスキーヤー複数名の滑りを同時に見てもらえ、最新のカービングスキー操作をチェアスキーで行なうためにどうしたらよいか、きわめて具体的な技術アドバイスを受けることができたと思う。そんななかで、まだ高校生ながらワールドカップ優勝も経験している鈴木猛史選手の滑りは、チェアスキーの最新技術とでも言うべきもので、大杖さんにも多くのヒントを提供したようだ。障害別クラスが同じである私自身も、おおいに参考にさせてもらった。このように、シーズンイン合宿はきわめて効果的で、質の高いトレーニングを行なうことができた。
2007/09/18選手にとっての「試合」 観客にとっての「祭り」 《月刊スキージャーナル 2006年1月号》
10月下旬から11月初旬にかけて、私たち障害者アルペンスキー・ナショナルチームは、オーストリアでシーズンイン合宿を行なった。場所は、健常者のワールドカップ開幕戦の舞台として知られる氷河スキー場のソルデン。今年はわれわれが到着した翌日、10月22日から2日間にわたりレースが行われた。雪上トレーニングを始める前に、まずはトップ選手たちの滑りを間近で見て、大会の雰囲気を生で味わうことで刺激を受け、モティベーションをあげようというチームの戦略だ。私にとってワールドカップ観戦は、2001年に志賀高原で開催されたとき以来になる。もちろん、スキー王国オーストリアで観る機会は今回が初めてだ。
2007/09/18パラリンピックイヤー いよいよ開幕! 《月刊スキージャーナル 2005年12月号》
紅葉の便りが山から届き始め、富士山で初冠雪が観測されたというニュースを聞く頃になると、いよいよシーズン近し、とそわそわ落ち着かなくなるのは、雪山をこよなく愛する人たち皆が共有する心持ちだろう。
2007/09/18バランス感覚強化 カヌーでオフトレ(?) 《月刊スキージャーナル 2005年11月号》
東京都心のコンクリートのジャングルに住んでいても、耳を澄ませば季節の変化を感じとることができる。ここ数日、セミの鳴き声に変わり、コオロギ(?)の美しい音色が耳に多く届くようになった。昨年よりは秋の訪れが早いように感じる今日この頃、もう少し夏らしいスポーツもしたかったなあ、とちょっぴり名残惜しくもある。
2007/09/18オフトレにはやっぱり自転車(か?) 《月刊スキージャーナル 2005年10月号》
今年のオフシーズン中のトレーニング課題は、持久力の向上だ。シーズン中、ほぼ毎日、雪上に立つので、後半になるとどうしても疲労が蓄積しやすくなる。来年の最大の目標は3月に行なわれるトリノパラリンピックだが、11月から雪上トレーニングが始まると、ワールドカップなどが大会直前まで息つく暇なく続く。シーズンを乗り切るため、体力の底上げと疲れにくい身体をめざして、この時期は持久力向上に力を入れたいと考えている。
2007/09/18バリアフリー化の本当の意味(後編) 《月刊スキージャーナル 2005年9月号》
前回のコラムで、東京都内を走るノンステップバスに乗った体験について書いた。たしかに看板に偽りはなく、段差を気にせずに乗ることはできたのだけれども、車いすユーザーがバスに乗るには、かなりの労力と時間が必要になることがわかった。そしてその結果、運転手や他の乗客の方々、そして車いすユーザー自身が、それぞれ我慢をしなければならない。海外では、自動でスロープの出し入れが可能なタイプのバスがずいぶん前から主流になっている国もあるのに、なぜ日本には導入されなかったのだろうか。その理由を、今回は自分なりに考えてみたい。
2007/09/18バリアフリー化の本当の意味(前編) 《月刊スキージャーナル 2005年8月号》
先日、「ノンステップ」式の路線バスに初めて乗った。そしてそれは、バリアフリーについて多くのことを考えるきっかけとなった。
2007/09/18夢の新素材 《月刊スキージャーナル 2005年7月号》
4月10日、私にとって2004/2005のスキーシーズンが少し早めに終了した。滑り納めは志賀高原で開かれた草レース。シーズン最後に、ワールドカップのようなプレッシャーのかかる試合とはまったく異なる、和やかな雰囲気の試合に出ることで楽しく締めくくる予定だった。しかし気を抜きすぎたのか、レース初日に発熱してしまい、2日目のレースはベッド上から観戦するハメとなり、滑り納めにしては締まらない終わり方になってしまった。
2007/09/18厳しい海外移動事情 《月刊スキージャーナル 2005年6月号》
2月に行なわれた日本チームのワールドカップ遠征は、イタリア、オーストリア、スイスとヨーロッパ3カ国を移動するものだった。毎年、少なくとも一度は国際大会出場あるいはトレーニングを目的に海外に出ているが、今回のように3カ所のスキー場を転々とするのは初めてのことだった。そこで痛感したのが、移動にかかる肉体的、精神的な負担の大きさだ。
2007/09/18セストリエールへの第一歩 《月刊スキージャーナル 2005年5月号》
先日、3週間に渡るヨーロッパ遠征から帰国した。イタリア、オーストリア、スイス3カ国のスキー場を転々とした今回の遠征の目的のひとつは、ワールドカップに参戦してポイントを取得すること。そしてもうひとつが、いよいよ来年に迫ってきた、イタリアで開かれるトリノ・パラリンピックで使用されることになっているコースの下見だった。
2007/09/18欧州遠征で問われる高速トレーニングの成果 《月刊スキージャーナル 2005年4月号》
1月下旬、私たち全日本アルペンチームは白馬八方尾根でスピード系種目を中心にした合宿を行なった。使用したのは、長野オリンピックのときに女子の高速系種目が行なわれたコースの一部。本誌でおなじみの『スーパーGスペシャル』の開催に向けたコース作りの期間を利用し、練習させてもらうことができたのだ。八方尾根のスキー場やスクール、そしてスキージャーナルなど多くの方々のご理解とご協力に、まずは御礼を申し上げたい。とくに私は、合宿に引き続き『スーパーGスペシャル』の前走まで滑れたこともあって、とても充実した高速系トレーニングができたと実感している。
2007/09/18ケガの功名 《月刊スキージャーナル 2005年3月号》
シーズン早々、派手な転倒で顔に傷を負ったことは先月号で報告したが、 その傷跡が消えきらないうちに、またしてもケガをしてしまった。今度は左脚の膝だ。「スキーヤーが膝を負傷」というと滑走中のケガのイメージが強いが、私の場合は違った。練習終了後、雪のない駐車場に車を停め、地面に降り立った次の瞬間、バランスを崩して膝をねじりながら転んでしまったのだ。私の左脚は、かろうじて歩ける状態で残っているものの、大きな後遺症がある。とくに膝周辺の靭帯はボロボロで、ちょっとしたはずみで痛めてしまうので(風呂の湯を脚でかき混ぜていて膝が外れかけたこともある!)、日常生活においても注意深く行動しなければいけなかったのだ。合宿という形式で練習を行った初日の出来事で、いつもと異なる状況に、注意力が散漫になっていたのかもしれない。とにもかくにもお粗末なケガではあるが、悔やんだところで仕方がない。
2007/09/18シーズン開幕。日本アルペンチーム 《月刊スキージャーナル 2005年2月号》
12月3日、待望の初滑りができた。場所は例年通り、鹿沢ハイランド。異常気象で季節外れの暑さにもめげずに、コース幅、長さともに白く覆われる場所が少しずつ広がるのを見るのが楽しみだった。
2007/09/18飛躍のシーズン 《月刊スキージャーナル 2005年1月号》
11月の声を聞くととたんに、「シーズン到来だ!」と心も身体もうずうず、東京での生活がいつもにまして嫌になり、山への願望は強くなる一方だ。ついインターネットを立ち上げては、スキー場のライブカメラ映像やら積雪情報を覗いてしまう。けれど、想いはなかなか届かないものらしく、「まだこれしか雪がないの〜!」と嘆く日々が続いている。すでに立冬を迎えたというのに、冬にはほど遠い暖かい日が続いていて嘆かわしいこと限りない。今年も例年どおり11月下旬からは雪上に立つ心づもりはできているのだが、果たして「立つ」だけでなく「滑る」ことができるくらい、雪が出来上がっているのだろうか。どうにもならないとは知りつつ、心配で仕方ない。
2007/09/18アテネに遺したパラリンピックの足跡 《月刊スキージャーナル 2004年12月号》
パラリンピックが閉幕し、1カ月近くに渡る私のアテネ滞在が終わった。仕事のための海外滞在は、観光旅行やスキー目的の滞在とはひと味もふた味も違う体験だった。日本とは大きく異なる文化、習慣の違いに直面し、戸惑い、途方にくれることの多い1カ月だった。
2007/09/18プロアスリートの心と役割 《月刊スキージャーナル 2004年11月号》
このコラムがみなさんのお手元に届く頃、ちょうどアテネ・パラリンピックが開催されているはずだ。先月号でも触れたとおり、私はNHK取材チームの一員として現地に入り、放送の仕事に明け暮れていることと思う。そして何を隠そう、このコラムはまさにアテネに向かう機内で書き始めている。
