大日方邦子のコラム

アテネに遺したパラリンピックの足跡 《月刊スキージャーナル 2004年12月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 パラリンピックが閉幕し、1カ月近くに渡る私のアテネ滞在が終わった。仕事のための海外滞在は、観光旅行やスキー目的の滞在とはひと味もふた味も違う体験だった。日本とは大きく異なる文化、習慣の違いに直面し、戸惑い、途方にくれることの多い1カ月だった。

 ギリシャで一番に感じたのは、車いすで生活するゆえに感じる「バリア」の多さだった。選手として、またメディアとして立場を変えつつ、5回目を迎えたパラリンピック開催地訪問。今大会は日常生活でも取材活動を行なううえでも、かつてないほど「自分が障害者である」ことを認識させられるシチュエーションにたびたび出くわすこととなった。まず、宿泊先のバリアフリーを謳ったホテルに到着早々、いきなりその洗礼を浴びた。手動で扉を開けるタイプのエレベーター、重い引き戸を開けて中に乗り込もうにも、狭すぎて車いすが入りきらないのだ。何度も挑戦した結果、狭い駐車場に車を入れる要領で、進入角度に気をつけ切り返しを繰り返せばかろうじて乗れることがわかったが、以後1カ月、停電や故障でたびたび動かなくなるこのエレベーターと格闘することとなった。部屋はバリアフリー仕様にしたものの、エレベーターのサイズは充分に検討されていなかったらしい。


 ホテルから一歩、外に出た瞬間、今度はギリシャの道路事情に直面する。目の前にあるのは片側3車線の幹線道路。メディアバスを利用するときや、ホテル近くの食堂に行くためには、この道を渡らなければいけない。けれど横断するには細心の注意と勇気が必要だ。車両優先のアテネでは、道路の構造上、歩行者は一気に道を渡りきることができず、かならず中央分離帯上で待たなければいけない。この中央分離帯がくせ者で、車道より20センチ程度高くなっているのにスロープがない。中央分離帯上に押し上げてくれる「介助者」がいなければ、車いすユーザーは時速80キロで走行している車が行き交う交差点のど真ん中で、立ち尽くすことになるのだ。車いすユーザーが街をひとりで歩くのはまさに「決死の覚悟」が必要なのだ。


 取材で訪れた競技会場でも車いすユーザーゆえの不都合に数多く遭遇した。競泳会場ではメディアが唯一使えるエレベーターが故障していたため、メディア席に行くことができなかった。他の会場も似たりよったり。柔道会場では階段昇降機がなぜか「VIP専用」で使わせてもらえなかった。「どうやってメディア席は行けばよいの?」との問いに対する担当者の答えは「I don't know」。結局、案内されたのは最上階の観客席。まさに天井桟敷で、がらがらの会場をはるか下に見渡せるが、試合中の選手は豆粒ほどに見えた。階段だらけの競技会場では車いすを降りて歩くしかないのだが、車いすから目を離すことができない。盗難の危険があるからだ。車いすを抱えながら歩いて階段を下りられる車いすユーザーなんているわけがなく、結局「介助」をする人に同行してもらわざるをえない。


 すべてがこの調子で、車いすを使っていると、街も競技会場もひとりではどこにも行けない。今大会ではこのことが最大のストレスだった。ひとりの取材者として自由に動きまわりたいのに、どこに行くにも「介助者」が必要なのは仕事をする上で大きなハンディだ。大会運営にあたり、取材者のなかに車いすユーザーがいることが想定されていなかったのがトラブルの原因だろう。


 選手村を歩いても、障害者に配慮した環境整備がされているようで、実は細かい落とし穴、不具合がたくさんあった。点字ブロックはあるのに突然、一枚だけ剥がれて欠落している、段差の境目に目印がない、排水溝をふさぐ金網の目が大きすぎて車いすの前輪や杖が挟まってしまう……、といった具合だ。パラリンピック開催に向けてバリアフリー化を進めたものの、ノウハウの蓄積がなく、当事者にとって使いにくく、危険なものができあがってしまったようだ。


 しかし今回、アテネで私が体験したさまざまな不都合は、ギリシャという国に特有のものではないはずだ。「誰もが住みやすく、障害の有無に関係なく平等に生きられる社会」へ成熟していく過程で、先進国の多くの街や人々がかつて踏んできたステップのひとつにすぎないのだ。


 日本だってほんの数年前まで、今のギリシャと似たような街の状況だったし、車いすで街を歩けば物珍しがられる時代だった。今も駅や道路などのユニバーサルデザイン化はまさに現在進行形で行なわれている最中だし、数年前は、安全上の理由でチェアスキーヤーや片足スキーヤーを受け入れなかったスキー場はそれほど珍しい存在ではなかった。大手スポーツクラブの中には、未だに障害者の受け入れを拒否しているところだってある。けれども1998年、日本は長野パラリンピックをきっかけに街作りも人の意識も大きく変わった。パラリンピックを通じて、人々は一時にさまざまな障害者と接し、自分たちと同じ人間であることを、身をもって感じることができる。パラリンピックアスリートたちは運動能力の高さ、精神的な強さをスポーツを通じてアピールすることで、「障害者だからできないことがたくさんある」といった人々の思いこみを払拭する役割を担っているのだ。


 シドニーやソルトレイクのように成熟した社会環境の中でのパラリンピックから比べると、今回のアテネでは、私だけでなく選手も関係者も多くのトラブルに見舞われたはずだ。けれど、成熟の途上にある街で開催されるパラリンピックこそ、その真価を発揮する側面も持つ。大会をきっかけに開催国や都市が、成熟した豊かな社会に成長していくための起爆剤を、有形無形、さまざまな形で遺していくこと、それがパラリンピックのもっとも大きな意義のひとつだからだ。