大日方邦子のコラム

初めてのドーピング検査 《月刊スキージャーナル 2004年5月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 今回も引き続き、世界選手権での体験をお伝えしたい。この大会で私は、選手としてとても重要なひとつの体験をすることができた。ドーピングコントロールである。オリンピック選手と同様、パラリンピック選手も禁止薬物の使用は禁止されており、表彰者のなかからアットランダムに選ばれた選手を対象に、抜き打ちで検査が行なわれている。もちろんアルペンスキー競技でも行なわれているが、幸か不幸か、私自身はこれまで、一度もドーピング検査の対象選手に選ばれたことがなかった。

 検査には厳格な「お作法」がある。私の場合、一連のコントロールは以下のような感じで始まった。スーパーGで優勝が決まり、ゴールエリアでライバルから祝福を受け、チームの仲間たちとも大喜びしている最中、一人の中年男性がにこやかな表情で私に近づいてきた。まず「おめでとう」と祝福し、それから少しあらたまった表情で、ドーピング検査の対象選手であることを伝えた。そして彼は「緊張しなくていいよ」と言いつつ、軍服を着た男性を「あなたの監視者だ」と紹介してくれた。鋭い目つきの軍人さんにまっすぐ見つめられて、ドキドキするな、と言われてもむずかしい。この瞬間から検査が終わるまで、私の行動はすべて彼らの監視下に置かれる。いくつかの質問に答えたあと、軍隊のお兄ちゃんに先導され、検査会場のホテルに移動した。ルートも決まっているらしく、一度入りかけた入り口を出て、別のドアから入りなおすなど、物々しい。案内されたのはホテルの応接間のような部屋。私を「監視」してきた軍人さんとはここでお別れだった。代わりの監視人はスタイルのよい美女1名と、先ほどゴールエリアで声をかけてきた男性医師だ。


 ドーピングで検査されるのは尿である。けれどもそう都合よく尿意は来てくれない。部屋に用意されているドリンクを勧められ、リラックスするよう言われた。しばらくの間、テレビのワールドカップ中継をボーッと見ていると、トイレに案内された。採尿するのは別室の専用トイレで、その個室にも監視者が一緒に入る。個室での監視は先ほどの美女だ。いくら同性であっても、やはり見ず知らずの人の前で、しかもじっと一挙手一投足を見られながら、排尿するのは緊張する、というかやりにくいものだ。水音を立ててもらったり、雑談をしたり、と苦心惨憺の末、何とか必要な量を採集することができた。


 検査ではあらゆる不正の可能性を排除するべく、厳密に作業が進められる。検査キット一式を複数の中から選びとるのは選手自身だし、採集した尿を立会い人が持つことも許されない。選んだキットを開封して尿を規定どおりふたつの容器に入れ、完全に密閉、検査場に送るための袋に入れてシールを貼る……。すべてを選手自身が検査官の目の前で、手順どおりに行わなければいけない。最後にこの3日間に使用した薬をすべて申告し、検査控えの書類一式をもらって検査が終了した。


 検査結果は1週間後に判明するが、結果がすべての選手に通知されるわけではない。検査官曰く「知らせのないのは良い知らせ」なのだそうだ。私にはその後、特段の知らせはないので問題なかったということだ。しかし実を言うと、今回、私は少し不安な気持ちで検査を受けた。というのも、大会中に風邪をひき、薬を飲んでいたのだが、検査を受けた段階で禁止薬物が含まれていないか、100%の確証を持てていなかったためだ。


 それほどドーピング検査に敏感になるにはわけがある。不注意に飲んだ薬によってドーピング違反とみなされることもあり得るからだ。たとえば市販されている風邪薬や漢方薬の多くに禁止薬物が含まれているし、病院で処方される咳止めなどにも禁止薬物が含まれているものがある。またサプリメントやのど飴の中に含まれていることもある。経口薬だけでなく、塗り薬にも対象となるものがある。医学知識が充分にないと、使っていいものかどうか判断するのはむずかしいが、今回の遠征にはチームドクターが同行しなかった。仕方なく出発直前に、持っていく薬のリストを提出して調べてもらったが、その結果が現地に届かなかったのだ。


 エリートスポーツの世界では今、ドーピングをなくすための活動が盛んになっており、これまで以上に違反者に対する制裁は厳しくなると思う。それはパラリンピック選手に対しても同じであり、年々、検査が実施される機会は増えている。選手は自分が口にする飲食物・薬のすべてについて、禁止薬物が含まれていないかどうか知っていなければならない。けれどもドーピング問題に対する危機感が希薄な役員・選手が多いことが気がかりだ。競技団体によっては、ドーピングコントロールに関する勉強会を行なったり、最新の情報を選手に流しているところも多いが、障害者スキー連盟では今までのところ、こうした啓蒙活動は行なわれていない。最終的には選手自身が、使用する薬について責任を負うのは当然のことだ。しかし、選手が判断に迷って、「不安だから……」と必要な薬も飲めないような状況は、なんとしても是正されなければいけない。今回の騒動と初めてのドーピング検査を経て、強くそう思ったのだった。