大日方邦子のコラム

セストリエールへの第一歩 《月刊スキージャーナル 2005年5月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 先日、3週間に渡るヨーロッパ遠征から帰国した。イタリア、オーストリア、スイス3カ国のスキー場を転々とした今回の遠征の目的のひとつは、ワールドカップに参戦してポイントを取得すること。そしてもうひとつが、いよいよ来年に迫ってきた、イタリアで開かれるトリノ・パラリンピックで使用されることになっているコースの下見だった。

 トリノ・パラリンピックのアルペンスキー会場となるのは、健常者の世界選手権やワールドカップでもおなじみのセストリエールだ。使用するコースはオリンピックでは男女の高速系種目が行なわれるボルガータと呼ばれるエリア。パラリンピックでは4種目ともにこのコースを使用し、ゴールは同じでスタート標高のみが変わる形で行なわれる予定だ。


 初めて見たセストリエールには、とにかく雪が少なくて驚かされた。今年は天然の雪がほとんど降っていないようで、コース以外の山にはまったくといってよいほど雪がなかった。試合が行なわれる予定のコースも人工降雪機がフル稼働中という状況だったが、雪が少ない分、山の形そのものはよくわかった。変化に富んだ斜面や圧迫感を持たせる狭い幅への飛び込み、ゴール前の急斜面などをじっくりと見て、さまざまなターン弧を試しながら滑れたことは、難度の高いこのコースでの試合運びを考えるうえで、アドバンテージにつながったと思う。


 今回の下見は、大会組織委員会やスキー場側が開いたものではなく、日本チームが独自に行なった。当然、競技会場コースは一般客に開放された状態で、われわれも客のひとりとしてコースを共有しながら滑る形で下見をした。セストリエールはイタリアでは非常に人気のあるリゾート地、ということで想像以上にお客さんが多い。とくに午前10時を過ぎればリフト乗り場は大勢のスキーヤーで賑わい、昼頃にはどこのリフトも15分程度待つのが当たり前になる。日本では味わうことができないスケールの大きなゲレンデにもかかわらず、混雑しているリフト乗り場を見ていると、イタリアにおいていかにスキーが人気の高いスポーツなのかを実感できる。そして、リフトを降りたスキーヤーたちは、技術の上手下手にかかわらず、多くが起伏に富んだ急斜面に向かい、それぞれのペースで景色とコースを楽しみながら滑り降りていく。スキーがうまくなりたい、というよりは楽しみたい、という気持ちのほうが強いのだろう。スキースクールのレッスンらしきグループも数多く見かけたが、インストラクターは技術を教えるよりも「雪山を楽しむためのホスト」として働いているようで、ロングコースのクルージングを安全に楽しむための先導役に徹しているのが印象的だった。イタリアではスキーを「雪山を楽しむための道具」としてとらえている人が多いらしく、技術を習得しようと「練習」するスキーヤーの多い日本のゲレンデとの違いを感じた。


 ところで今回、私たちはオリンピッックとパラリンピックで選手村として使われる予定の建物に宿泊した。セストリエールは山の中腹に街があり、そこから山頂にかけての全体がスキー場になっている巨大リゾート地だ。あえて日本のスキー場に例えるならば、八方や苗場のレイアウトに似ているだろうか。トリノ大会では、その街の一角のゲレンデに面している建物群がスキー競技のための選手村(分村)として使われる。これまでのパラリンピックでは、選手村はゲレンデから遠く離れた町に全競技共通の村がひとつあるだけで、われわれアルペン選手は選手村から競技会場までの移動時間に悩まされてきた。しかしトリノではその心配はなさそうだ。なにしろ、選手村の建物から一歩出ればそこはゲレンデ。競技会場までは行くにもリフトを3本乗り継ぐだけでよく、アルペン選手にとって理想的な選手村になるはずだ。


 前段の初めにわざわざ「予定」と書いたのは、選手村として使われるはずの建物群はまだ完成しておらず、今回はその便利さを今ひとつ実感できなかったためだ。選手村予定地では、一部完成済みの建物が長期滞在型のホテルとして営業されていて、そこが私たちの宿泊先だった。けれどホテルとゲレンデの間は、今現在まだ、新しい建物を建築中で大型クレーンがそびえたつ巨大な工事現場になっており、ホテルからゲレンデに出るためには、仮設の危なっかしい歩道橋を使うか、車を使って遠まわりしてアプローチするしかなかった。


 オリンピックまで365日を切った時点でこの状態、というのは日本人の感覚からするといささかのんびりしているように思える。けれどスキー客で賑わうハイシーズン中に、朝早くから工事現場で働く人たちがいる、ということは、さすがのイタリア人にとってもそれなりにせっぱ詰まった工期になっている証なのだろう。高級リゾート地にはそぐわない雑然とした工事現場が、ビッグイベントを目前に控えた街らしい活気をもたらしている、と言えなくもない。


 選手村ができあがっていないのと同様に、街やゲレンデ全体がまだ、パラリンピック開催地としての受け入れ準備も整いきっていない印象だった。選手村からもっとも近いリフトは、競技会場に移動するすべての選手が使用することになるはずだが、チェアスキーで乗るにはあまりにも高さがありすぎたため、毎朝、チームの誰かがリフトから落ちかけるアクシデントが起こった。ゲレンデでもチェアスキーや片脚の選手はまだ珍しい存在らしく、一般スキーヤーたちから、好奇心とよそよそしさの入り混じった目を向けられることは、陽気な国民、というイメージの強いイタリアだけに少し意外だった。


 おそらく、イタリアでは障害のあるスキーヤーの存在はまだそれほど多くないのだと思う。実際、ワールドカップに出場しているイタリア選手は、パラリンピック1年前にしては人数が少なめで、強豪と呼べる選手も輩出されていない。けれども長野大会が日本国内にもたらした大きな変化と同様のことが、トリノでのパラリンピック開催を機に、イタリアでも起こるのではないかと期待している。