大日方邦子のコラム

バリアフリー化の本当の意味(後編) 《月刊スキージャーナル 2005年9月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 前回のコラムで、東京都内を走るノンステップバスに乗った体験について書いた。たしかに看板に偽りはなく、段差を気にせずに乗ることはできたのだけれども、車いすユーザーがバスに乗るには、かなりの労力と時間が必要になることがわかった。そしてその結果、運転手や他の乗客の方々、そして車いすユーザー自身が、それぞれ我慢をしなければならない。海外では、自動でスロープの出し入れが可能なタイプのバスがずいぶん前から主流になっている国もあるのに、なぜ日本には導入されなかったのだろうか。その理由を、今回は自分なりに考えてみたい。

 スロープの出し入れを自動化しようとすれば、その装置のぶんだけコストがかかる。いざノンステップバスを導入しようとしたときに、1台あたりの初期コストを抑えれば、そのぶん導入台数を増やせるので、普及も早まると考えた人がいても不思議ではない。実際、スロープを必要とする人がバスに乗る機会はそれほど多くはないだろうから、手間と時間がそのときだけ余計にかかっても問題は小さい、という考え方もできなくはない。けれども、それでは誰もが少しずつ我慢を強いられる状態になるわけで、どうしても使う必要に迫られる人は「申し訳ない」と思いながら「使わせていただく」ことになってしまう。これでは、せっかくのスロープにもかかわらず利用頻度は上がりそうもない。


 地下鉄などで一時、導入が進み、今も見かけることの多い階段昇降機(「エスカル」という愛称がある)もまた、手動式ノンステップバスと同じ考えに基づくものではないかと思う。実際にエスカルが動いているシーンを見た方は少ないかもしれないが、手順としてはまず駅員の方を呼んで装置を用意してもらい、階段には規制ロープを張る。そして、衆人が注目するなかを車いすユーザーを乗せた昇降機がカタツムリのようにゆっくりと移動していくことになる。駅員さんの手を煩わせるだけでなく、駅の利用者にも階段が狭くなるという不便を強いるのだ。このエスカルのほか、駅員さんを呼んで施錠を解いてもらう障害者専用エレベーターや、一般乗客が立ち入れない特別ルートを案内される場合も多かった。


 ほんの数年前まで、多くの駅では、このような障害者のための「特別な」設備が広く運用されていた。これらは、運転手さんにスロープを引き出してもらうノンステップバスと同様、利用するには気がひけるものだ。


 けれど、交通バリアフリー法が施行され、誰もが使えるエレベーターやエスカレーターが改札のある階やホームに設置される駅が増えたことにより、事情は一変した。車いすユーザーも、わざわざ駅員さんの手を煩わせることなく、ほかの乗客に迷惑をかけることも減り、堂々と電車に乗ることができるようになったのだ。迷惑をかけずにすむならば、積極的に電車を利用したくなる。


 バリアフリーの設備を作るとき、「やらなければいけないことだから」「法律で決められたから」と強制された考え方で取り組むと、「必要不可欠とする人だけが、どうにか使えるモノ」になりがちだ。バリアフリー設備を「マイノリティのために仕方なく付けるもの」と考えるならば、経費を最小限に抑えたくなるのは当然だ。けれど、「この設備を付けると、より多くの需要が見込める」、「設備があることで付加価値になる」とポジティブに考えることができれば、「より多くの人が使いやすいと感じるモノ」にしようという発想につながるのではないだろうか。


 先のノンステップバスを例にとると、自動でスロープが出てくれば、ベビーカーをたたんで子どもを抱きかかえなければならない親や、つまずきやすいお年寄りだって助かる。スーツケースを転がしている人にも便利だろう。「みんなが使いやすい設備」にバージョンアップさせること、それが私の考えるバリアフリーの理想だ。けっして「障害者のためだけの設備」を望んでいるわけではない。


 バリアフリーというと、すごく立派な設備を新しく作ること、というイメージもあるかもしれないが、そんなことはない。駅の案内表示をわかりやすく工夫することがバリアフリーにつながるように、お金をかけなくても、利用者の立場や動線を想像しながらちょっと手を加えるだけで、劇的に使いやすく洗練されていく例は、身近にいくらでもあると思う。


 たとえばスキー場の宿。階段があるからというだけで「うちは足に障害のある人は泊まれない」と思い込まず、ぜひもう一度、見まわしてみてほしい。「ここに板を置いてスロープにすれば使えるようになるかな」とか、「玄関先が凍りやすいから、滑り止めマットを敷くとみんなが安全に使えるかな」というように、ごく身近で手軽なことから始められるバリアフリーがあるかもしれない。ちょっとした気づかいが、カスタマーサービスの質を上げることにつながれり、結果的にビジネスチャンスの拡大につながることもある。


 こうした考え方は、人間同士がコミュニケーションする広い意味での社会の中において、お互いをちょっとずつ気づかうことが潤滑油になったりするのと同じではないだろうか。


 たとえば、すれ違って肩が触れたときに、ムッとして相手をにらみつけるよりは、「失礼」と互いにひとこと声を掛け合い、笑顔ですれ違ったほうがやっぱり気持ちがいい。自分の身のまわりにいる他人のことを、みんながちょっとだけ気づかうことができれば、きっとすごく洗練された暮らしやすい社会になるのではないかと思う。


 些細なことが引き金となって悲劇的な大事件になることも少なくない現代の日本に、本当の意味でのバリアフリーの考え方がもたらしてくれるものは、決して小さくはないはずだ。