大日方邦子のコラム

選手にとっての「試合」 観客にとっての「祭り」 《月刊スキージャーナル 2006年1月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 10月下旬から11月初旬にかけて、私たち障害者アルペンスキー・ナショナルチームは、オーストリアでシーズンイン合宿を行なった。場所は、健常者のワールドカップ開幕戦の舞台として知られる氷河スキー場のソルデン。今年はわれわれが到着した翌日、10月22日から2日間にわたりレースが行われた。雪上トレーニングを始める前に、まずはトップ選手たちの滑りを間近で見て、大会の雰囲気を生で味わうことで刺激を受け、モティベーションをあげようというチームの戦略だ。私にとってワールドカップ観戦は、2001年に志賀高原で開催されたとき以来になる。もちろん、スキー王国オーストリアで観る機会は今回が初めてだ。

 レース当日、ソルデンの街は、標高1300m地点の麓の集落から人と車であふれかえっていた。観戦エリアとなる2500m付近までの道のりは、観戦客たちの車で朝から渋滞中。その道路に雪がないのは、シーズン始めということを考えれば普通なのかもしれないが、驚いたことにゴールエリア付近の駐車場もアスファルトばかりで雪はない。そこでスキーブーツに履き替える人あり、スキー板を持たずに観戦に向かう人あり、いったいどこからこれほどの人が集まってきたのかと思えるほど、山の上もごった返していた。


 天気も上々で、観客たちは朝からビールやワインを飲んだり、土産物の出店を冷やかしたりしながら、試合が始まるのをのんびり待っていた。そして試合が始まる時間になると、観戦スタンドやゴールエリア周辺に人が集まり出し、またスキー板を履いている人はコース脇に鈴なりになって、選手が滑ってくるのを迎える体制を整える。


 歓声がひときわ大きくなるのは、当然、地元オーストリアの選手が滑るときだ。その応援ぶりはものすごい。地元選手にはとにかく無条件に声援を送り、またシード選手30人のうちとくに人気のある他国の選手もその対象となる。スポーツ観戦に「身びいき」はつきものだし、それがまた一層、観戦を楽しくする要素にもなるものだが、あまりの露骨さに少しびっくりしたのも事実だ。


 トップ選手30人が滑り終わると、スタンドは一気にガラガラになり、人々はふたたび出店やカフェに足を向ける。もちろん、試合はまだ続いているのだが、そんなことはおかまいなし。その割り切り方にもまた驚かされた。ただ、よく観察すると、客の大半が席を立った後も、応援席に残っている小グループがある。彼らは、出走順の遅いオーストリア選手が滑って来たときに大歓声をあげる人たちで、どうやらその選手の"コアな"ファンらしい。応援グループの中には老人もいれば子どももいて、選手の地元の町から来た応援団、といったところだろうか。試合後には、横断幕を前に選手と一緒に記念撮影をしていたりして、その様子はなかなか微笑ましい。


 オーストリアという「国」の代表選手への応援もさることながら、さらに狭い範囲での「地元」「出身地」への帰属意識がとても強いことを、今回の観戦ではつくづく実感した。オーストリアには、アルプス山脈の谷沿いの道を進んでいくと、ところどころ集落があり、スキー場のベースとなる大きめの町にたどり着く、という地形(?)が多い。道路地図を眺めていると、タール(ドイツ語で「谷」の意)ごとにアイデンティティを持つのが当然、という気がしてくる。


 オーストリアで行なわれるスキーレースの雰囲気は、日本でのメジャースポーツであるプロ野球やJリーグの観戦とはずいぶん、質の異なるものに感じた。日本でたとえるならば、スポーツ観戦というよりは、「大きな神社の祭り」が一番近いだろうか。出店が立ち並び、アルコール飲料がみるみる消費され、一度で使い捨てるようなおもちゃや、いかにもありがちな土産物が売られるところも似ていれば、人々のテンションの高さも祭りのそれと似ている。出身地域の選手に格段の歓声と拍手を送る地元応援団の姿は、祭りのクライマックスに自分の町の神輿が到着すると、よりいっそうの歓声を挙げる、そんな感覚にも近い気がした。


 ところで、気になったのは観客のマナーの悪さだ。観戦態度が悪い、と言いたいわけでない。出店で飲んだり食べたりしたあとに出るゴミが至るところに散乱しているのだ。とくにオーストリアでは、日本の屋台でお目にかからないようなガラス瓶入りのビールや炭酸飲料、それにボトルワインが一般的に売られていて、その瓶を道路上に捨てるので、ガラスの破片がゴミとして散乱している。ゴミ箱ではない場所にも、ひとりが捨てればそこが即席のゴミ置き場となってしまい、堂々と置いていく客が続くのにはあきれた。ワールドカップが終了してからの3日間は、ゴールエリアを見わたせるゴンドラに乗るたびに、会場のゴミを片づける作業員の姿が見られたほど。そのくらい、会場の荒れぶりはひどいものだったのだ。


 ワールドカップでは当たり前な光景なのかもしれないし、「お祭り」だから仕方ないのかもしれない。けれど自然に「間借り」して雪を楽しむ者としては、もう少しゴミへの気づかいがあってもいいのでは、というのが正直な感想だ。


 「スキー大国」オーストリアのレース観戦は、真剣勝負の緊張感を選手と観客が共有する、というイメージを持っていた。けれど実際は、肩の力を思いっきり抜いて雰囲気を味わう「祭り」であり「エンターテインメント」だった。


 選手にとって「試合」はもちろん真剣勝負の場である。けれど、観客から見れば「祭り」の要素が大きいからこそ楽しめるわけだ。よくよく考えてみれば当たり前のことなのだが、選手である自分はこれまでずっと気づかなかった。


 ひょっとしたら、選手としてもレースの「祭り」的な要素を感じる余裕が持てると、もっと肩の力を抜いて楽しくレースに臨めるのかもしれない。たとえば、自分らしいパフォーマンスを多くの観客に「見せる」「見てもらう」ことも、選手としての試合の楽しみ方のひとつなのだろう。そんな当たり前だけれど、ちょっと新しい試合の見方に気づかされた有意義な体験だった。