大日方邦子のコラム

新しい“オモチャ” 《月刊スキージャーナル 2006年11月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 先日、「ハンドサイクル」なるオモチャをついに手に入れた。トレーニンググッズと言うべきか、移動手段としての乗り物というべきか、はたまた“高級なオモチャ”と表現するべきか、冒頭から表現を迷ってしまうのだが、それはともかく、今一番、私が気に入っている新しい所有物であることはまちがいない。「ハンドサイクル」とは、足の代わりに腕でペダルを漕ぐ自転車のことだ。チェアスキーを使えば両脚の筋力を使わなくてもスキーを楽しむことができるのと同じように、ハンドサイクルも腕の力だけで自転車と同じような推進力を得ることができる用具なのだ。ハンドサイクルのことは昨年、トリノ・パラリンピック前のコラム(2005年10月号)でも言及したので、記憶のある読者諸氏もいらっしゃるだろうか。

 私が初めて「ハンドサイクル」なるものを偶然見かけたのはちょうど2年前のことだ。「世の中にはこんなすごい乗り物があるのか!」と大きな感動と衝撃を受けた。はじめて見た瞬間から「絶対に欲しい」と思っていた。でも、おいそれと手に入る代物ではない。なぜならばそれは、私にとっては「超」がつく高級品だったからだ。なにせ“ママチャリ”レベルの性能のモデルでも、ハンドサイクルというだけで30万円もするのだ。「普通の自転車なら2〜3万程度の予算で充分なはずなのに……」なんて恨み言を言ったって始まらない。けれども高い買い物をするにあたっては、やっぱり慎重にならざるを得ない。「買っちゃってから使わなくなったらどうしよう……」「どの程度、乗り物として性能があるのだろう」などとあらゆる角度から検討し、試乗を重ね、さんざん心を悩ませて、そしてついに購入を決意したのだった。


 でも考えてみると、その衝撃的な出会いと購入にいたるまでの思考経路、そして試乗(レンタル?)を繰り返す、という一連の流れは、ちょうど十数年前、私がチェアスキーと出会った時とそっくりなのだ。この新しい“オモチャ”にチェアスキー同様、「ハマってしまったら大変だ!」と思う今日この頃である。


 少し真面目な話をすると、車いすユーザーにとって、オフシーズンの最大の課題は持久系トレーニングの方法だ。車いすを漕ぐという運動は、見た目よりも力が要らないか、一部の筋肉に瞬発的な力が求められるかの両極端で、持久力を養うのはきわめて難しい。それは私にとっても、長い間ずっと最大の悩みだった。けれどもひとたびシーズンが始まってしまえば、その問題はいったん棚上げになってしまう。晩秋からはほぼ毎日、雪上にいるわけだし、海外遠征、ワールドカップ、そしてパラリンピックと大きな大会が続くなかでは、オフトレの運動方法を深く考える余裕はない。


 そして実を言うと、トリノ大会が終わってからも、しばらくは心の中にぽっかりと穴が開いた状態になっていた。もう少し正確にいうと、選手としての活動を継続するのかどうか、方向を決めかねていた時期だった。白状をすると、ここ数カ月はまったくトレーニング、とりわけオフトレについて考えることができなかったのだ。やるべきこと、やりたいことはいろいろな意味でたくさんあるけれども、どれを選択するべきか、その基準が見つからない。その一方では、講演やらインタビューやら、自分自身をさらけ出す機会は多い。そんななかで「どれかひとつでも次のステップに進みたい」という思いが強まるなかで、決断したのが、「ハンドサイクルを所有すること」だったのだ。そして結果的にこの決断が、競技活動の継続を決意できたひとつのきっかけにもなった気がする。


 ハンドサイクルは、夏のパラリンピックで新種目として採用されたこともあり、その歴史が浅いわりには種類が豊富だ。それだけに、どのチャリを自分のものにするべきか、悩みは尽きない。パラリンピック出場レベルの選手が使うような競技に特化したのものから、いわゆる“ママチャリ”と言うかリハビリ的な要素の強いものまで、選択肢はかなり広いのだ。私自身も衝撃の出会い以来、機会あるたびにいろいろ試乗した。でも正直なところ、「これだったら買い!」と思えるモデルは見つからなかった。結局、悩みに悩んだ私が選んだのは、独自のカスタマイズをした一台を作ってもらうことだった。まず、アメリカ製のママチャリ用フレームに競技用のギアを取り付けるという、大胆な改造を依頼。他にも日本人の体型に合うようにフレーム幅を狭めたり、ブレーキと変速レバーを手元に移動させるなど、いくつもの特別な発注をしたのだ。そして注文から約2カ月、待ちに待った私の手元に、まさに世界で1台しかない、オリジナルモデルがやってきた。


 念願のハンドサイクルが到着して以来、毎日、ハンドサイクルを乗りまわす日々が続いている。今日は新宿、今日は中目黒……、早朝に公園に走りにいったり、職場に行くにも、食事に行くにもハンドサイクルで……、とフル稼働だ。今はまだ、どのようにギアなどを調整すればよいのか手探りでわからないことも多いし、身体の使い方そのものもいろいろと試す状況が続いている。でもスキー同様、チューンナップが必要で、やれることが多いギアらしいことはわかってきた。脈拍を測ってみると、漕ぎ方しだいでは理想的な持久運動になることも判明した。もっとも、風をきって走るのが楽しくて、ついつい一所懸命に漕ぎすぎてしまい、脈が上がりがちなのは考えものだけれど……。


 ハンドサイクルで都内を走ってみると、このごみごみした街の移動ツールとして、自転車がいかに有効かということに驚かされる。一方通行も進入禁止も関係なく走れるし、渋滞とも無縁。駐車スペースだって心配する必要がない。とはいえ、危険と隣りあわせであることはまちがいないので、交通事故にはよ〜く注意しつつ、「ハンドサイクルならあそこも行ける」「今度はあっちまで……」と考えるのが楽しくてたまらない、そんな日々だ。


 実家のある長野では、スピードを上げてみたり、坂道をせっせと登ったり、都会とはひと味違う楽しみ方もできる。遊び感覚でトレーニングもできるし、実生活でも多いに役立つ。今の私にとってはこれ以上、ぴったりのギアは考えにくい。10月の雪上トレーニングを迎える前に、楽しく身体を動かせるギアを手に入れられた私はつくづく幸せだな〜と、自己満足に浸る日々はしばらく続きそうだ。