大日方邦子のコラム

言葉と文化の壁を越えて 《月刊スキージャーナル 2006年2月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 前回は、シーズンイン合宿でチームとして初めて健常者のワールドカップを観戦した話をしたが、この合宿では他にも新たな試みが行なわれた。もっとも大きかったのが、チーム体制だ。ここ数年でもっとも早いシーズンインとなったため、他にも仕事を持っているチームの常任コーチやスタッフはこの海外遠征に参加することができず、ゲストコーチを招いてのトレーニングとなった。今回、忙しい本業の合間を縫ってチームのコーチングを引き受けてくれたのが、札幌オリンピック代表の大杖正彦氏だ。大杖さんとは、数年前から個人的には知り合いで、何度かトレーニングアドバイスを受けていたが、ナショナルチームとして招聘するのは初めてのことだった。チェアスキーヤー複数名の滑りを同時に見てもらえ、最新のカービングスキー操作をチェアスキーで行なうためにどうしたらよいか、きわめて具体的な技術アドバイスを受けることができたと思う。そんななかで、まだ高校生ながらワールドカップ優勝も経験している鈴木猛史選手の滑りは、チェアスキーの最新技術とでも言うべきもので、大杖さんにも多くのヒントを提供したようだ。障害別クラスが同じである私自身も、おおいに参考にさせてもらった。このように、シーズンイン合宿はきわめて効果的で、質の高いトレーニングを行なうことができた。

 そして、今シーズンから始まった新たな試みのもうひとつが、ドイツ語を母国語にする外国人コーチをチームに加えたことだ。スイス人女性で、名前はアンジェリカ。パラリンピックを含む今シーズン、チームがヨーロッパで活動するときに手伝ってくれる現地スタッフだ。これまでも、必要に応じて現地に住む日本人を通訳兼スタッフとして頼むことはあった。けれども、まったく日本語をしゃべらないスタッフがメンバーになったのは今回が初めてだ。ドイツ語の他に英語、フランス語、イタリア語を使いこなすアンジェリカ、通称"アンジー"だが、日本語はまったく話せない。そして日本に関する知識もほとんどない、と典型的なヨーロッパの山の中の住人だった。一方、日本チームの選手の多くは英語を話さない。このチームに突然加わり、アンジーがどうやって選手たちとコミュニケーションをとるのか、おおいに興味があった。


 アンジーがまず苦労したのが、チームメンバーの名前を覚えることだ。スイス人にとって日本の人名はきわめて聞き慣れないものらしい。フルネームを覚えるのはまず無理で、彼女が発音しやすそうなニックネームを決めても「覚えられるのは一日3人まで!」と悲鳴をあげながら、必死に顔と名前を一致させていた。


 文化の違いをもっとも感じたのが、アンジーが合宿に、愛犬"チコ"を連れて来たことだ。ヨーロッパではほとんどのホテルで犬と一緒に泊まることができるため、ワールドカップなどで滞在するホテルのロビーで犬を見かけることは多い。けれど合宿のチームメンバーに犬が加わったのは、これまた初めてのことになる。アンジーは忙しい合宿のスケジュールの合間を縫って、一日3回、30分ずつの散歩を欠かさず行なっていた。山道を生き生きと飛びまわり、満足げにホテルの階段を駆け上がって部屋に戻っていくチコの姿は、東京のマンションに閉じこめられている大型犬と比べるとずいぶん幸せそうだった。チームマスコットと言うには少々活発すぎる子だったが、それでもコントレで一緒に走ったり、散歩の行き帰りにちょっと一緒に遊べたことで、気持ちにゆとりが生まれるのが不思議だった。


 実はこのコラムはシーズン2度目の合宿が行なわれているオーストリアの地で書いているのだが、今回もアンジーはスタッフとして参加している。今回は大規模なチーム編成で、選手数は前回の倍以上。そのうえ、トレーニングの一環としてのヨーロッパカップ参戦や、オーストリア国内を転々と移動するスケジュールなど、厳しい合宿となっている。日本人の名前を覚えるのが苦手なアンジーにとって、大人数の日本人に囲まれての20日間は相当なストレスになるのではないだろうか。


 もっともチームの国際化はさらに進んでいる。今回の合宿には、ゲストコーチとして日本でも有名なペーター・プロディンガー氏が来てくれているのだ。プロディンガー氏はかつて健常者のナショナルチームのコーチなどを歴任し、日本に精通したオーストリア人で、本誌でおなじみの読者も多いだろう。通算17年もの間、日本選手のコーチを努めてきたペーターがかなり日本通なのは間違いなく、ときどき彼の口から不思議な日本語が飛び出して驚かされることも多い。今日はゲレンデで「なまら寒いな」と発言、スタートが爆笑の渦に包まれた。


 トレーニングを撮影したビデオを見ながらのミーティングでのコメントや、コース上でのアドバイスは英語で行なわれている。選手にとってはまったく初めての経験で、多くの選手がとまどいを感じているようだ。私自身も、ある程度は英語でのコミュニケーションができるものの、彼のドイツ語なまりの英語を理解するのはむずかしい。単語がむずかしいというよりは、彼が伝えようとしているスキー技術が、どのような言葉で表現されているのかを理解するのがむずかしいのだと思う。「フリームービング」「グライディング」などの言葉は、普段、私たちが使っている日本語でのスキー操作を表わす言葉に当てはまるものなのか、今はまだ手探りの状態だ。


 ただ、今は多少の混乱があるにしろ、長い目で見たとき、日本チームが日本人だけで固まって肩寄せ合っているよりも、現地の人を仲間に迎え入れることのメリットは数え切れないほどあるだろう。「案ずるより産むがやすし」ではないが、言葉の壁、文化習慣の違いがあったところで、「スキー」「レース」という共通項さえあれば、たいていのことはなんとかなるものだと信じているし、こうした状況を楽しむゆとりを失わないようにしたい。