大日方邦子のコラム

誇れる遺産 《月刊スキージャーナル 2006年4月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 1月中旬、障害者アルペンスキー・ナショナルチームのメンバーは、巨大な荷物の山とともにまたも成田に集結、海外遠征へと旅立った。シーズン3度目となる今遠征の目的はお隣りの国、韓国で開かれるワールドカップ参戦だ。パラリンピックイヤーの今年、初の試みとしてアジアでワールドカップが開かれることになり、韓国でまず5レース、そして日本に移動して志賀高原で3レースが行なわれた。

 韓国でのワールドカップ会場となったのはヨンピョンリゾート、英語名はドラゴンバレー。2014年のオリンピック招致をめざしているスキー場であり、ついでに言えば、一時、日本で大流行した韓国ドラマのロケ地となった場所でもある。と、つらつら説明している私自身も実は、現地に到着するまでどんなスキー場に行くのか、韓国がどのような国なのかほとんど知らず、期待と不安が入り交じった出発だった。


 韓国の玄関、インチョン空港に到着すると、まずその規模の大きさと美しさに驚かされ、続いてわれわれ選手団を出迎える人の多さに圧倒された。パラリンピックならばいざ知らず、ヨーロッパや北米で開かれるワールドカップで、大会組織委員会が空港まで出迎えることはまず考えられない。日本語が堪能なチーム専属の世話役と多数の学生ボランティアに出迎えられ、荷物は貨物トラックへ。そしてわれわれは用意された車いすリフト付きのバスでホテルに向かった。


 ヨンピョンまで、4時間近くのバスの旅。途中、立ち寄ったサービスエリアでの豊富な出店の数々に感心し、のんきに炙りイカなど買い食いしつつ、到着したのがこれまたゴージャスなホテル。玄関のすぐ脇のガラス張りの部屋に、チームごとに仕切られたワクシングスペース。食事は数十種類から選ぶバイキング方式で、部屋は完全洋室と、いたれり尽くせりだ。そして翌朝、われわれはバスでスキー場に向かったのだが、先導してくれたのはパトカーだった。さぞやにぎやかな町中を通るのかと思いきや、ところどころに民家がある程度で、とりたてて大きな山もなく、凍った川と枯葉色の大地が印象に残るばかりだ。しばらく閑散とした景色が続いたあと、いきなり高級リゾート地が出現する。白いゲレンデも間近に見られるようになるその様は、野辺山スキー場と八ヶ岳の別荘地を足して2 で割ったような雰囲気だ。


 今回、使われたコースはオリンピック招致に成功すれば技術系種目の会場となる予定であり、人工降雪機で作り上げられた完全なアイスバーン、しかも相当な急斜面だった。数本滑っただけでスキー板のエッジ脇のソールが削れてしまうほど、バーンが硬く、急激な斜面変化も手伝って、男子のトップ選手でも完全に攻めきることはできない難コースだ。
今回のワールドカップ開催が、五輪招致活動の一翼を担っているであろうことはまちがいなく、選手団の輸送に関わる人数の多さや数々の歓迎行事など、いたるところに招致に賭ける熱い期待が感じられた。韓国チームから事前に聞いていた話では、韓国国内の障害者の社会的地位とスポーツ活動の状況は決して恵まれたものではないようだが、そのことを感じさせない歓迎ぶりは、これまた長野パラリンピック前後の日本を思い起こさせるものだった。


 華やかな大会運営のなかで、実は困った問題も発生していた。レース初日から、激しい腹痛と嘔吐、そして発熱する選手・スタッフが複数現われたのだ。急遽、レース途中で病院行きの車が出ることになり、日本チームは総数の3分の1が山を下った。なかには入院するほどひどい症状の人もあり、同様の症状は他チームにも現われたことから、食中毒を疑う声が数多くあがっていた。何が原因だったのか、大会最後まで明らかにならなかったものの、状況から考えて、オープニングパーティーで出された食事の何かにヒットした、と見るのが妥当そうだ。幸運なことに、私自身は最後まで健康そのものだったが、体調を崩した選手のなかには症状を長引かせた者もいた。また、連戦の疲労からか、新たに具合が悪くなる人が出るなど、シリーズ終盤まで、体調不良がチームに陰を落としてしまったのは残念なことだった。


 韓国での5レースを消化したのち、各チームは日本に移動した。引き続き行なわれる志賀高原でのワールドカップに出場するためだ。もちろん日本チームも例外でなく、移動日には朝5時に韓国のホテルを出発、夕方に成田到着後、多くの選手がそのまま自分の車で深夜に志賀高原入りしたのだ。


 志賀高原ではGSが2戦、SLが1戦行なわれた。会場は、長野パラリンピック時にSLで使用された西館山だ。西館山では長野大会以降、毎年、パラリンピックを記念する大会が行なわれ、関係者の手慣れたレース運営とコース整備には、長野パラリンピックの「遺産」がしっかり受け継がれていることを感じさせるものだった。気温が上がって雪が緩むなかでのコース整備は大変だったと思うが、スケジュールどおりのレース運営が守られ、会場でのインフォメーションも日本ならではと言えるきめ細やかなものだった。ヨーロッパの大会ではアナウンスされる情報が少なく、つねづね告知なしのスケジュール変更に悩まされていたのに比べると、余計な心配をせずにレースに集中できる志賀高原での大会は天国だった。ヨーロッパから来た役員たちにはぜひ、志賀高原の大会運営のスマートさを見習ってほしいと願っている。


 アジアで初めて開かれたワールドカップ・シリーズ戦は、それぞれの国の事情を反映させたものだったと思う。とくに日本では、長野パラリンピック以来、実に8年ぶりの国際大会開催となり、多くの報道がなされたことで、その意義も深いものがあったと思う。それなりに良い成績を残せた今シリーズの勢いを、ぜひトリノ大会につなげていきたい。