大日方邦子のコラム

言葉の意味とニュアンス 《月刊スキージャーナル 2006年8月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 トリノから帰国して、気がつけば早くも3カ月近くが経とうとしている。手元のスケジュール手帳を開いて振り返ってみると、この間、少なくとも週に1回以上は、パラリンピックに関連する公式行事や取材、対談、講演会などの予定が入っている状態だった。多くの場合、トリノで獲得した3つのメダルが私のお供だ。新宿御苑、日本記者クラブ、首相官邸、そして皇居……。3つのメダルはずいぶん多くの場所で、さまざまな方々の手にとられ、トリノパラリンピックのことを思い出してもらう材料となった。

 そんな行事のひとつとして、5月末、厚生労働大臣との会食が行なわれた。川崎大臣によってパラリンピックメダリストが私的な夕食会に招かれ、和やかななかで、実に多くの話題がテーブル上に乗った。そのひとつが「障害者」という言葉についてだった。「障害者」という言葉にはどうも、「かわいそう、気の毒、弱者」と言ったマイナスイメージが染みついているような気が私にはする。あまり好きな言葉ではないので、なるべく「障害がある〜」のような表現をするようにしている、そんな話をしてみた。すると大臣からは「障害者」という名称を変えてしまっても良いのではないか、という意見が出て、その場では反対する人はいなく、場はおおいに盛り上がった。


 実はトリノを終えてから急遽、自伝的な本を出版することになった。3歳のとき、交通事故に遭って以来、身体に障害を持ちつつ生きてきたこれまでの自分自身の半生を振り返りながら、スキーとの出会い、パラリンピックの魅力などについて執筆した。その中ではどうしても、「障害」という言葉を使う事が多く、使えば使うほど「障害」という文字、そして言葉の響きが気になっていった。そして偶然にも、このコラムに関しても「障害者」という表記を変えようか、という申し出がSJ編集部からあったことから、この言葉について、私の考えていることを書いてみたい。


「障害者」の「害」という漢字が持つ意味やイメージが悪い、ということで最近では「障がい者」「障がい」とひらがなで表記するケースが増えているようだ。地方自治体で表記を変更するところもあるし、新聞紙上でこの言葉の持つ違和感について論じる記事を見かけることも多い。けれども私自身は、「害」が気になるから「がい」とひらがな表記する、というのはどうも釈然としない。これまで漢字が使われていた言葉を平仮名にすると、逆に使われなくなった漢字の意味を強調することになるような気がする。ちょうど、古い映画の中に現代では不適切なセリフがあったときに無理やり消されていると、「あのセリフは何だったのだろう?」と憶測したくなるのと同じ感覚だ。


「障害」という言葉は、以前は「障碍」と表記されていた。戦後、当用漢字が指定され、「碍」という文字が指定から外れたために、「障害」と置き換えてしまったのだそうだ。「碍」には「妨げる」という意味があり、「障」の持つ意味とは似ている。「融通無碍」(考え方や行動にとらわれところがなく自由であること)や絶縁体を表わす「碍子」などで使われている漢字であり、とくに悪いイメージを持たない漢字のようだ。一方、「害」は人や物を害する、害を与える、という意味を持っている漢字だ。害虫、公害、被害……、「害」のつく熟語はたくさんあるけれど、どれもネガティブなイメージの言葉ばかりだ。「障害者」は人に害を与える人ではもちろんないはずけれど、害虫が人に被害を与える虫、であることと比較してしまうと、「障害者」に分類されるひとりの人間としては、響きの良い言葉だとはとても言えない。障害者よりは障碍者と呼ばれるほうが、いくぶん居心地がよく感じられる。けれども「障害」も「障碍」も読み方は「しょうがい」で一緒なので、テレビ・ラジオ業界に身を置くものとしては、マイナスイメージの強いこの言葉自体を変えたいとも思っている。


 また、「障害者スポーツ」という表現は、私には「障害者」という単体の言葉以上に居心地の悪い言葉だと感じている。「スポーツ」とは別に「障害者スポーツ」が存在しているような響きがあるからだ。スポーツはただの「スポーツ」で良いわけで、本当はあえて区別する必要はないのだと思う。英語では、障害のある人が行なっているスポーツのことを「アダプティブ・スポーツ」と表現することがある。アダプトは「適応させる」「改造する」といった意味を持つ言葉だ。ルールや用具を工夫してスポーツを楽しみ競技を行なっている「障害者スポーツ」をポジティブに捉えた表現だと思う。「アダプティブ・スポーツ」の概念を取り入れたわかりやすい日本語がないものだろうか。


「障害者」に代わる言葉は、すぐには見つからないだろう。この1カ月ばかり、あれこれ頭の中でひねってみたけれど、ピタッとはまる言葉を探すのはむずかしい。周囲の人に意見を求めてみると、まさに十人十色、さまざまな答が返ってくる。なかには言葉だけを変えても仕方ない、という意見もある。けれど私自身は、これまで当たり前に使ってきたこの言葉の持つ意味やニュアンスについてあらためて考え直してみることが、「障碍者と健常者」という無用な壁を取り払うひとつのきっかけになることを願っている。