大日方邦子のコラム

ヒントは「誰でも、手軽に」 《月刊スキージャーナル 2006年9月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 先日、知人に誘われ、霞ヶ浦でヨットの操縦を初体験した。私が試したのはふたり乗りの小型ヨットで、「アクセスディンギー」という。1〜2名乗りの小型ヨット「ディンギー」が「アクセス」しやすい、つまり誰にでも乗りやすいように工夫されたのが「アクセスディンギー」だ。オーストラリアで開発されたこのヨットは、もともとは大きな船と港の間を往き来する小舟として考案されたものだそうだが、操船がむずかしくなく、初心者や高齢者、そして身体に障害のある人でも乗ることができる船として、世界中で人気が高まり、普及が進んでいるヨットだ。

 アクセスディンギーの一番の特徴は「沈まないこと」。通常のヨットはクルーが船内を移動しながらバランスを保つ必要があるけれど、アクセスディンギーの場合、乗員はハンモックのようなシートに深々と座ってさえいれば安定している。舵は手元のレバーを左右に動かすだけで操作できるし、帆の調整も座ったままの姿勢で行なえる。


 ハーバーに行くと、さっそく「乗ってみなよ」と言われ面食らった。穏やかな風がときおり吹くだけで、波も静か。とりあえず夫とふたり、そして愛犬モンドと一緒にシートに座ってみる。夫もヨットに乗るのは初めてだ。にもかかわらず、インストラクターの方から帆と舵の調整方法だけを軽く教わり、とりあえず出航してしまった。桟橋から出ていくときはかすかな追い風で、適当に帆と舵をいじっているだけなのに、すいすい進んでいく。もう一艘にはインストラクターと一緒に知人が乗っており、その船の動きに同調しながら、しばらくは勝手気ままな操船を楽しんだ。


 ところが、充分に楽しみそろそろ岸に帰ろうという段になり、はたと困ってしまった。岸に戻るには向かい風になり、思いどおりの方向にヨットを進められない。理屈がわかっていないのだから当たり前の話だ。帆が風を受けすぎたり、舵を切りすぎて、船体が大きく傾いたりもしたが、ひっくり返ることはない。そうしてあれこれ試しているうちにタイムアップ。結局、私たちのヨットをぴったりマークしてくれていた監視ボートに曳航されることとなった。エンジンの力とは偉大なもので、あっけなく桟橋に戻ることができた。


 昼食後、再挑戦することにした。今度は指導してくれる人と一緒に乗り込む。ヨットを思いどおりの方向に進めるには風の方向と、帆の向き、そして舵を切るタイミングが重要だということを理解した。風上の方向に進むための理屈とコツを教わり、今度は自力での帰港に無事成功。先ほどと違ってエンジンではなく、風の力を利用して進むことができ、「自然の力」のすごさを感じるとともに、それを利用する「人間の知恵」もすごいなあ、なんてことを感じた。


 それにしてもこのヨットは本当にひっくり返らない。聞けば、ヨット操縦に長けている人たちが、何とかバランスを崩して転覆させようと、思いつく動作すべてをやってみたけれど、それでもひっくり返らなかったそうだ。小さな船なので限界はあるけれど、そこそこ穏やかな波ならば、充分に楽しめる。


 実は、泳ぐことが大好きだった私にとって、海で楽しむヨットは昔から気になるスポーツだったが、同時に私自身には向いていないスポーツだとも思っていた。父が大学時代、ヨット部で活動し、その後もときおり楽しんでいたため、ヨットの話を聞く機会は多かった。ヨットを安全に楽しむためには、正しい知識と技術、そして経験の積み重ねが必要だと聞かされていた。そして弟たちは何度かヨット乗船に連れていってもらっていたが、その感想は「楽しかった」というより、「おもしろいこともあるけど……」と微妙なものだった。義足を使っている私がヨットに乗ることは危険だ、と父は判断していたようだし、私自身も弟たちの反応を見る限り、「危ないスポーツだな」というイメージが強かった。


 確かに通常のヨットは、刻一刻変わる風や波などの自然条件を瞬時に判断し、すばやく的確な動作をしなくてはいけないし、操船を誤れば海に投げ出される危険もある。海という厳しい自然の中に身を置くわけで、それなりに危険度の高いスポーツだと思う。父のように本格的に競技として取り組んだ場合には、リスクを回避するための技術も体力も必要だ。けれども今回のアクセスディンギーでは、実にお手軽に、風を読みながら、水面を疾走するヨットの雰囲気を味わうことができたのは驚きだったし、とても楽しい体験となった。機会があればもう少し、本格的にヨットの操縦を学びたい気持ちもあるし、ヨット以外の水上スポーツにも挑戦してみたくなった。


 アクセスディンギーは、障害のある人たちが楽しむヨットとして適しているだけでない。初心者、高齢者など海上スポーツと無縁だった人たちにまず手軽な体験をしてもらえるツールとなることで、セーリングというスポーツの敷居を低くし、トライしやすくするのにひと役買っているようだ。


 そして考えてみると、ヨットはスキーと共通点が多い。海と山、フィールドは違うけれど、ともに自然のなかに身を置くスポーツであり、それなりのリスクを伴いながらも、自然界の力を利用しながら、推進力を得るスポーツだ。特別な道具が必要なこと、そのスポーツの醍醐味を知るためには、技術を身につける時間や労力が必要な点も似ている。


 スキー人口が減っている今、アクセスディンギーのスキーバージョン、つまり誰もがお手軽にスキーというスポーツの魅力を垣間見ることができるような工夫ができれば、オンスノーのスポーツに誘うきっかけ作りになるのではないだろうか。