大日方邦子のコラム

本当のバリアフリー 《月刊スキージャーナル 2001年7月号》

最終更新日: 2007/09/18 | Edit

 車椅子を日常的に使っているチェアスキーヤーにとって、駐車場からゲレンデまでのアクセス、そしてトイレの場所や整備状況はゲレンデコンディションと同じくらい重要な問題であり、スキー場選びの大きなポイントとなる。ゲレンデまでのアクセスが悪ければ、選手だけでなくチームにも大きな負担がかかるのはもちろんのこと、大会運営そのものにも差し支える事態が生じる。しかし、障害のあるスキーヤーにとって使い勝手の良いスキー場が、試合会場にふさわしい斜度や雪質を併せ持つとは限らない。大きなイベントの場合、コースのおもしろさを優先して会場を決め、アクセスを改良する場合もあるようだ。

 2月に大会で訪れた時、アメリカ・スノーベイスンスキー場では、来年のパラリンピックに向けた建物の建築が盛んに行なわれていた。アメリカは北欧に次いで、障害のある人たちにとって生活しやすい国、と言われている。そのアメリカで開かれるパラリンピックがどんな会場で行なわれるのか、準備状況がどうなのか、にも私は関心を持っていた。


 私たちが使っていた駐車場とゲレンデはほぼ段差なしにつながっていて、問題がなかった。さらに屋外に設置されたトイレのひとつは「アクセッシブル」、つまり車椅子ユーザーも含む障害のある人などが、使いやすいように工夫されたものだった。アメリカではいわゆる「障害者用」とか「車椅子用」という言葉は使われていないようだ。障害者だけではなく、より広いスペース、特別な設備が必要な人すべてが使いやすいようにつくられた設備、という意味が含まれているのではないかと思う。今、日本ではバリアフリー、という言葉のほかに「ユニバーサル」という言葉も同じような意味で使われることがあるが、「誰でも使える」という言葉の持つメッセージ性を考えると、アクセッシブルとユニバーサルは、ほほ同義になるのかもしれない。


 話をスノーベイスンの駐車場付近に戻すが、問題はトイレから少し離れたところにあるレストハウスだった。私たちが到着した時は、選手用のテントなどがまだ用意されておらず、昼食を食べられるのはこの1カ所だったが、入り口手前には10数段の階段がそびえていた。スキー場でよく見かけるこうした段差にはもちろん、合理的な意味があることは承知している。積雪量しだいで地面の高さが変わる目然界では、人造物を自然に合わせるしかない。しかし、車椅子ユーザーにとってこの段差はバリアになる。「アメリカでもこういう建物がまだあるんだねえ」などとチームメイトと話していたら、大会が始まる前日から入り口付近でなにやら作業が始まり、翌日には木の板で作られたスロープが誕生したのだ。その着工の早さと作業のペースには驚かされた。しかも、できあがったスロープは、車椅子ユーザーが自力で登ることのできるような斜度に設定されている上、使いやすい手すりもついている。その完璧な仕上がりは、このような作業が日常的に行なわれていることを物語っていた。


 もうひとつおもしろかったのがゴールエリアからリフトまでのアクセスだ。大会用リフトの乗り場は、ゴールよりも標高の高いところにある上、歩くには距離がありすぎる。一般向けには短いロープトゥが設置されているが、チェアスキーヤーや片足のスキーヤーは使えないものだ。そこに登場したのがスノーモービルだった。後部にロープを2本つけて、一度にふたりを引っ張れるように工夫したスノーモービルで、選手や大会関係者をピストン輸送したのだ。


 日を追うことに、ロープの途中を握る選手が増え、数珠つながりになって、スノーモービルがうめきながら上がっていく姿が増えたが、そんなことをしなくても大丈夫なくらい充分な台数のモービルが活躍し、スムースな大会運営に一役買っていた。


 アメリカで強く感じたのは、設備のすばらしさよりも、柔軟な対応と設備を使い慣れた人々の姿勢だった。大会期問中、予定外の時間に駐車場脇のトイレにひとりで向かった時のことだ。時間節約のために車椅子に移乗せず、トイレ脇でチェアスキーを降りたのだが、乗り込むときは微妙にバランスを崩しやすく、むずかしい。困ったな、ちょっと支えておいてくれる人が欲しいな、と思ったその瞬間、「Can I help you?」と救いの声をかけてくれたのは、大会とは無縁の一般客の中年女性だった。アメリカだけでなく、海外のスキー場では、実にタイミングよく手助けの申し出を受けることが多い。気軽に手馴れた調子で手伝ってくれるので、こちらもあまり恐縮せずにお願いすることができる。


 それが日本だとどうも大仰になりすぎるようだ。車椅子ユーザーを受け入れるには、立派なスロープをつけて、段差をすべてなくし、「車椅子用の」エレベーターを設置しなければいけない、と思われている節がある。けれど、アメリカの例を見ればわかるとおり、設備は思っているよりも簡単につくれるし、設備がなくても、周囲にいる人がほんのちょっと、手を貸してくれればすむこともたくさんあるのだ。誰もが住みやすい社会になるにはどうしたらいいのか、ひとりひとりがちょっとイメージする余裕を持つだけで、世の中はかなり、変わることが多い。


 スキーシーズンがひとまず終わり、本業に復帰(?)した私は今、中高生向けのドキュメンタリー番組の制作に取り掛かっている。本当のバリアフリーとは何か、それを広げていくにはどうすればよいのか、をある人物の活動を追うことで伝える番組にしたい、と考えている。私の考えていることが番組でどの程度、皆さんに伝わるでしょうか。放送は7月13日です。