パラリンピック スポーツについて

パラリンピック

最終更新日: 2007/09/25 | Edit

誕生

 パラリンピックの源流は、1948年にロンドン(イギリス)で開催された「ストークマンデビル・アーチェリー大会」にあるとされています。
 その4年前にあたる1944年、ロンドン郊外のストークマンデビル病院内に、国立脊髄損傷センターが設立されました。そのセンター長として招聘されたのが、ユダヤ人医師ルードヴィッヒ・グットマンです。

 患者(おもに第二次世界大戦の戦闘による負傷兵)の救命治療から社会復帰までを手がけたグットマンは、リハビリテーションの一環としてスポーツを取り入れることを思いつきます。その効果は非常に大きく、やがて病院内で小さな競技会が開かれます。それが、冒頭の「ストークマンデビル・アーチェリー大会」だったのです。
 その後、回を重ねるごとに同大会は、競技種目と参加選手を増やしていきました。1952年にはオランダからの参加があり、国際大会に発展。これを機に、「国際ストークマンデビル競技会」として、年に一度、病院内の運動場で行なわれることが決まります。また、オリンピック開催年だけはその開催国で行なうことも、併せて定められました。
 そして1960年、イギリス以外で初開催となる「国際ストークマンデビル競技会」が、ローマ(イタリア)で行なわれます。これをもってパラリンピックの第1回とする見方が、現在では一般的なようです。

 1964年、東京オリンピック閉幕後の日本で、「国際身体障害者スポーツ大会」が開かれます。この大会は二部構成で行なわれ、従来の脊髄損傷者に加えて、他の身体障害者や視覚障害者、聴覚障害者の参加も認められました。また、「パラリンピック」という言葉も、この大会で初めて使われています。

 パラリンピック(paralympic)の「パラ」は当初、脊髄損傷による下半身不随(paraplegia)を意味していました。しかし、さまざまな障害を持つ選手が参加するようになった実情に合わせて、パラレル(parallel)の意味を持たせることが提案されます。そして1988年のソウル大会(韓国)からは、この「もうひとつのオリンピック」という意味を与えられたパラリンピックという名称が、正式に使われるようになったのです。
 なお、このソウル大会では、オリンピックと共通の施設が初めて使用され、またパラリンピックのシンボルマークも新たにつくられました。このマークは、オリンピックマークとの類似が後に指摘されたため、2色減らして3色となり、現在に至っています。
 

冬季大会

冬季大会の歴史はずっと新しく、1976年のエルニスケルドスヴィング大会(スウェーデン)が第1回。1998年の長野大会は、第7回にあたります。

最近の傾向

近年、パラリンピックは、競技性の高まりとオリンピックへの接近が急速に進んでいます。2000年シドニー大会(オーストラリア)では、大会組織委員会が初めてオリンピックと同一組織になり、2002年ソルトレイク大会(アメリカ)もそれに続きました。また、オリンピックの世界と同じように、プロとして活動する選手も現われています。