大日方邦子のコラム

選手引退後の第二の人生《月刊スキージャーナル 2007年5月号》

最終更新日: 2008/01/25 | Edit

 アメリカ・アスペンで開かれたワールドカップで、思いがけず、懐かしい人たちに会うことができた。ひとりは私のライバルであり、もっとも尊敬する選手であるサラ・ウィル。92年のアルベールヴィル大会からパラリンピックに参戦し、表彰台の中央に数多く立ち続け、02年のソルトレイクシティ大会で見事に四冠を達成し、現役を退いた名選手だ。

 アスペンでの6連戦の最終日の表彰式後、急いで帰ろうとした矢先に「Kuniko?」と呼びかける懐かしい声が聞こえた。そう、サラだ! 5年ぶりの再会だったが、彼女は現役時代と変わらず、細身な体型を維持し、相手を和ませる柔和な笑顔もそのままだった。再会を喜びあって、熱いハグを交わした後、出発するまでのわずか数分、夢中で近況を報告し合った。

 サラと私の出会いは94年のリレハンメル大会にさかのぼる。初出場で緊張し、選手としてもどう振る舞っていいかまったくわからなかった素人の私に、サラは気軽に声をかけてくれ、スタートとゴールでは選手としてのあるべき姿を見せてくれた。以来、私の目標は、サラと対等に戦える選手になることだった。それは単に試合で勝つという意味だけではない。彼女の包容力のある人間性とアスリートとしてのモチベーションの高さを受け継ぎたいと願った。そしてまた、パラリンピックの果たすべき社会的な役割と、選手自身が競技活動を通じてメッセージを発信していくことの重要性について、揺るぎない信念を持ち、行動している点にも共感した。パラリンピック選手としての私のアイデンティティは、サラとの対話を通じて受けた影響が色濃く反映されているものだ。けれどサラは引退後、まったくレースの現場に姿を見せなくなったので、何を考え、どのような生活を送っているのか、彼女自身の口から聞く機会はこれまでなかった。

 サラは引退後も、長く住み慣れたスキーリゾートであるヴェイルに住み続け、「アクセス・コンサルタント」のオフィスを経営しているそうだ。聞き慣れない職業だが、日本流に簡単に言えば、設備やサービスなどをバリアフリー化するためのコンサルタントだ。アメリカでは、ADAという法律により、障害や人種などを理由とするあらゆる差別を厳しく禁止されている。車いすを使っている人がアクセスできない建物や、障害を理由にサービスを受けられない、いうことはアメリカではあってはならないことなのだ。もちろん、スキー場もホテルもレストランにもこの法律が適用されるわけで、パラリンピックで数々の実績を残しているサラのキャリアを存分に生かす仕事と言えるだろう。

 実は、サラがアスペンに姿を見せたのはワールドカップの観戦がおもな目的だったわけではなかった。仕事で隣りのスキー場で行なわれるスキークロスの大会をマネージメントするので、そのついでに大会会場へも足を伸ばしたのだという。数年前からアメリカでは、スキークロスにも、モノスキー(チェアスキーや片足スキーなど一本の板を使うスキーの総称)部門ができ始めていて、彼女はその大会マネージメントを請け負っているとのことだった。スキークロスはご承知のとおり、非常にタフなスポーツだ。うねりの大きいコースで他選手と激しく競り合いながらジャンプしていく競技に、チェアスキーで挑戦する人がいるのか……! と驚いていたら、サラは「今回の大会に私も出ようかと思っているの。ちょっとジャンプが大きいかもしれないから、試走してから決めるわ」とこともなげに言ってのけた。サラも競技者としては引退したけれど、スキーそのものは辞めていなかったのだ。それどころか、スキークロスという新しい分野での可能性に挑戦を楽しみ、キャリアを生かしたビジネスにも挑戦している。実にサラらしい「第二の人生」だと感心した。

 アスペンでは、もう一人の名選手とも再会した。同じアメリカチームのチェアスキー選手、クリス・ワデルだ。彼はレース会場で、アナウンスとDJの一人二役を見事にこなしていた。明瞭な発音で選手や役員へのアナウンスを流し、レース中は、選手の名前とタイムを伝えるだけでなく、障害の種類や程度をわかりやすく説明したり、前日までのレース結果に基づいたコメントを適宜入れたりと、元選手としてのキャリアを生かした彼らしいDJぶりだった。また表彰式でも、エスプリの効いたコメントで表彰台に上る選手を紹介、会場を沸かせた。それもそのはず、現役時代からクリスの職業は「俳優」だったし、引退後も俳優業を続けているようだ。

 健常者の世界では、引退後には指導者の道を歩む人は少なくない。選手としてのキャリアを積んだ人が、引退後には指導者としてのスキルを学び、後進の育成にあたる、という流れはスポーツのさらなる発展には不可欠だ。けれど今のところ、パラリンピック界では、選手が引退後に指導者や役員として現場に残る、という例はまだ少ない。とくにチェアスキーヤーの場合、雪上移動にサポートが必要なケースが多く、物理的な障壁があるのかもしれない。サラやクリスのように世界の頂点に立った選手であり、かつ、アメリカという障害者スポーツの環境がもっとも整っている国のチーム出身者でもコーチとして活動していないという現実は、この世界がまだ発展途上であることを物語っていると言えるだろう。

 日本では、サラやクリスのようにパラリンピック選手としての実績を生かしたビジネスにチャレンジしている選手は、アルペンのみならず他競技においてもまだ聞かない。障害の有無に関係なく、スポーツに打ち込んだ選手が引退後、キャリアを生かした仕事に就けること、スポーツの発展のために活動できる環境を得られてこそ、スポーツが発展していくものだと私は思うのだがいかがだろうか。