大日方邦子のコラム

人生の転換期《月刊スキージャーナル 2007年7月号》

最終更新日: 2008/01/25 | Edit

 私が初めて、スキージャーナルと出会ったのは今からちょうど、10年前、1997年のことだ。編集部のひとりがチームの合宿地に取材に訪ねてくれたのがきっかけだった。長野パラリンピックを翌年に控え、メディア関係者が少しずつ姿を見せるようになってはいたものの、スキー専門誌の取材は初めてのことだった。

 当時、身体に障害のある者たちがアルペンスキーを競技として行なっていることは日本ではまだあまり知られていなかった。まして車いすユーザーがチェアスキーを用いて、ダウンヒルも含めたアルペン4種目に挑む、というのは、かなりインパクトのあることだったと思う。私たち選手は長野パラリンピックへ向けて黙々と練習をしていたけれど、パラリンピックという言葉を知らない人たちも多く、初めて訪れるスキー場ではチェアスキーとはどのようなものなのか、まず説明する必要しなければならなかった。

 そして1998年3月、長野パラリンピックは私たち当事者の想像をはるかに上まわる盛り上がりを見せ、全国民的な関心を集める一大イベントとなった。大会初日に行なわれたダウンヒルで、運良く私が金メダルを獲ると、「冬季大会初の日本人金メダリスト」としてテレビではニュース速報が流れ、スポーツ新聞の一面をチェアスキーでの滑走写真が飾り、ゲレンデには連日、メディアが殺到した。そして異常なほどの盛り上がりを見せた報道合戦は、大会終了とともに潮が引くように静かに消えた。けれども長野大会以降、夏季・冬季を問わず、日本のメディアはパラリンピックに対して一定の関心を持ち、大会を取り上げてくれることになったのは、長野大会が残した良き置きみやげだったと思う。日本中の人々の高い関心と温かな応援は、表彰制度の一部をオリンピック選手と同様にするなど、行政までも動かすムーブメントにつながった。世論が国を動かす、歴史的な場に当事者として立ち会うことができた経験は、私の人生の中で最も大切な宝物のひとつだ。

 長野パラリンピックは、日本だけではなくパラリンピック界の有り様をも大きく変えた。障害者のためのリハビリスポーツとしての歴史的経緯と役割を踏まえつつも、より速く、より強い者が栄光をつかむ純粋な競技大会へと、自らのステージを変える方向へ、大きく舵を切ったのだ。もちろん、私たちアルペンスキー界も大きく変わった。長野大会以前は4年に一度のパラリンピックと世界選手権以外には全世界規模の国際大会は存在しなかったが、2000年からワールドカップ(WC)がシリーズで開かれるようになった。そして今では、トップ選手たちは毎シーズン、北米、ヨーロッパ、そして日本など、世界中を転戦しながら、立て続けに開かれる20以上の試合に休む間もなく、挑み続ける生活を送っている。

 1シーズンの間に6回もの海外遠征を行ない、年間100日以上、雪上に立つような競技生活には、当然ながら、豊富な資金と社会的な後ろ盾が必要になってくる。この10年間で、世界規模で見ると、仕事の合間にスキーをするという従来の生活から脱却し、競技だけに専念できる環境を獲得する選手が増えていった。というよりも、活動基盤を築けた選手だけがトップ選手として生き残った、とも言える。私たち日本選手ももちろん、大会ごとに変化を肌で感じ、世界の潮流に乗り遅れまい、と必死で努力をしてきた。けれどもある意味、この数年、日本選手が世界のトップの一角を占めていられるのは、やや奇跡的なこととも言える。というのは、軒並みプロ化していく強豪国と異なり、日本では活動資金の大半を選手自身が負担する必要があり、強くなるほど、多くの試合に出て活躍するほどに、その栄誉とは逆に、懐具合は厳しくなるという状況が続いたからだ。それは単に資金面だけの問題ではない。多くの選手がそれぞれの職場や所属先で、スキー活動を認めてもらうべく苦心しているのが現状だからだ。

 私自身もこの10年、大きく変わり続けるスキー界の中でトップグループに居続けようと、必死に戦ってきた。レースという舞台での戦いは当然のことながら、それ以上に、ひとりの社会人として、競技と仕事をどう両立させるのか、また周囲からいかに理解を得るか、そのために費やすエネルギーは、年を追う毎に増える一方だった。

 スキージャーナルが長野大会をきっかけに障害者の競技スキーに目を向けてくれるようなって10年、そして縁あってこのコラムを書かせてもらい始めて約7年の時が経った。現役選手として身を置き続けてきたパラリンピック界は、ドラスティックに変化し続けてきたし、今も変化のまっただ中にある。選手に求められる要素も社会的な役割も大きく変わった。

 パラリンピックの度にマスコミから多くの取材を受け、またときには自分が取材者として活動しながらも、発展途上にあるパラリンピックの魅力や課題、そしてその世界にいる人々のドラマをより深く伝えるためには、一過性の報道だけでは伝わらないことが多いもどかしさを感じていた。その点において、スキー愛好家という共通点で結ばれたスキージャーナル読者の皆様には、私自身が、コラムの中で選手としてのその時々の感情を吐露することで、変わり行く「障害者スキー競技」の世界の有り様とその魅力を少しでも深く、伝えていきたいと願っていた。そして何よりも、身体に障害があろうとなかろうと、スキーを愛する気持ちを持つ者はゲレンデを前にしてはまったく、その間に溝も壁もない、ということが伝わっていたら幸いだ。長期に渡ってこのコラムを読んでくださった読者の皆様と、連載を続けさせてくださった編集部に深く感謝したい。

 さて、コラムを卒業するこのタイミングで、偶然にも、私自身も大きな人生の転換点を迎えることとなった。10年に渡り、職場としてきたNHKを去り、新たな道に進むことにしたのだ。6月某日からは、2010年までの残る3シーズン、競技に専念すると共に、悔いなくバンクーバー大会を迎えられるように、スキー活動に対してより深い理解と協力を示してくれる企業に身を置くことになる。そしてその後も、障害のあるアスリートの社会的な価値の向上やパラリンピック発展のために貢献できる活動ができるよう、新天地で頑張っていきたい。長い間、ご愛読ありがとうございました。そしてこれからも応援、よろしくお願いします!